那些比段子還不靠譜的人生?

初從文,三年不中;改習武,校場發一矢,中鼓吏,逐之出;乃學醫,有所成。自撰一良方,服之,卒。《楊一笑傳》


一時想不出啥個人的,那就轉一個群體的吧。我記的是允許轉載的,如作者覺得不妥,私信立刪。

轉自西西河

安全神話

こんな人たちが原子力開発をしていたのか!

最初の原子力航行実験の際、母港の青森県むつ市大湊港の地元の反対はすごかった。ホタテ貝の養殖が盛んな場所で、それが「汚染する」といって大騒ぎしていた。もちろん科學的な根拠があってではなかったが、反対運動の盛り上がりは、お祭り騒ぎで、漁民を挙げてみんな酔っぱらい、大湊の酒屋の一升瓶が全部売り切れてしまったといわれるぐらいだった。その勢いで、錨に體を結び付けたり、「むつ」が出航できないようにへさきの前にぎっしり漁船を並べたりしていた。

これに対し「むつ」は、台風接近でできた漁船の包囲網の隙をついて出港し、沖合で初臨界に達した。実験主體の日本原子力船開発事業団も科學技術庁も、自信満々であった。ところが、原子爐の遮蔽壁に設計ミスがあり、微量の放射能漏れが発生した。技術開発の世界では初期不良はつきもので、常識的なレベルの対処法を準備してさえいれば、それで済んでいたはずだった。この場合、板狀の鉛で隙間を埋めればよいだけだった。しかし、技術的に問題ないという前提だった「むつ」には、そのような準備は何もなかった。

そこで航海中の「むつ」がやむを得ず採った処置というのが、驚いたことに夜食用のおにぎりで問題の隙間を埋める、というものだった。それも最初は、誰もが近づくのを嫌がったので、投げつけるという方法だった。當然うまくいくわけがないので、今度は下っ端の若い研究員が指名され、近づいて手で隙間を埋めた。この際、水杯を取り交わしたという。ともかく、このような人たちが原子力開発をやっていたのかと思えるほど、慘憺たる狀況だった。

竟然是這些人在搞核能開發!

首次開展核動力船航行實驗時,母港青森縣Mutsu市大湊港當地居民表達了強烈反對。當地蝦夷扇貝養殖業興盛,人們擔心核動力船試航會造成「污染」,因而引發了軒然大波。當然,儘管並不是因為有什麼科學依據,但反對運動依然聲勢高漲,猶如節日的喧囂,所有漁民都喝得爛醉,以至於當地酒館的一升裝酒品據稱均告售罄。借著這股勁頭,有人把身體綁在錨上抗議,或是將漁船在「Mutsu」號船頭一字排開,以阻止其出航。

面對這種情況,「Mutsu」趁著颱風迫近,漁船包圍網出現破綻時突圍出港,在海上達到了首次臨界狀態。主持開展實驗的日本核動力船開發事業團和科學技術廳都充滿了信心。可是,由於屏蔽體存在設計缺陷,導致了微量的核泄漏。在技術開發領域,初期故障在所難免,只要準備好常識級別的補救方法,應該都是可以解決的。此時,只需用鉛板填塞縫隙即可。但「Mutsu」是以不會出現技術性問題為前提的,當然也就沒有任何相關準備。

於是,航行在海上的「Mutsu」迫不得已採取了令人聞之愕然的應急措施——用夜宵飯糰來填塞發生泄漏的縫隙。而且,由於起初大家都不願意靠近,所以採用的是投擲飯糰的方式。這樣顯然達不到預期效果,於是沒有地位的小研究人員被點名派去近距離徒手填堵。據說當時還舉行了交杯飲水的告別儀式。總而言之,那慘淡的光景,不禁讓人質疑,怎麼會是這樣一群人在開發核能。

中央も危機管理できず、恥をばらまく

いうまでもなく、最悪の事態を想定するという危機管理意識の欠如がもたらしたものであるが、問題はそれだけではなかった。これも、事故など絶対に起きないという前提ゆえのことであるが、「むつ」には報道関係者を満載していた。そのため船內のドタバタが、逐一報道される羽目になった。全く無用の大騒動を起こしてしまったのである。

この放射能漏れ事故が起きた時、私は森山欽司科學技術庁長官の長官室にいた。反対運動が激しかったので海上保安庁ではとても処理ができず、青森県警機動隊と東北化學機動隊を動員して警察事案として処理するということが、関係閣僚懇談會の席で決まってしまっていた。そこで國家公安委員會代表として、あの日、森山さんのそばについていた。

森山さんのデスクの上に電話の受話器が10ぐらい並んでおり、その中に一つ赤電話があった。森山さんが「佐々君、あの赤電話は何だと思う?」というので、「いや、知りません。消防か何かとつながっているんですか」と答えたら、「いや、そうじゃないよ。あれはね、原子力船『むつ』の船長との直通電話なんだ。何があっても第一報がわしのところに入るようになっとるんだ。だから、それから対応策を考えても十分」という説明だった。ところが後日、「森山大臣、直通の電話というのはどうだったのですか」と聞くと、「それが鳴らなかったんだよな」という答えだった。ひどい話だった。監督官庁である科學技術庁にも、警察にも事故の一報は入らず、テレビのニュースのほうが先だった。

中央也未能開展危機管理,顏面喪盡

沒有做好最壞的打算,毫無疑問這是缺乏危機管理意識所造成,但問題還不僅限於此。由於一切都是以絕對不會發生事故為前提計劃安排的,所以「Mutsu」號上還載滿了媒體人員。於是,又陷入了船上慌亂景象被逐一曝光的窘境,最終引發了沒有必要的巨大風波。

該核泄漏事故發生時,我正在科學技術廳長官森山欽司的辦公室。由於反對活動激烈,海上保安廳無法處理,相關閣僚懇談會決定調動青森縣警察機動隊(類似於武警——譯註)和東北化學機動隊,作為警察案件來處理。所以那一天,作為國家公安委員會代表,我一直待在森山先生的身邊。

森山先生的辦公桌上放著差不多10部電話,其中有一部是紅色的。他問我「佐佐,你知道那部紅的是幹什麼的嗎?」我回答「不知道。是連著消防或別的什麼單位嗎?」,他解釋說「不對。那部電話是和『Mutsu』號船長直接聯繫的專線。無論發生什麼狀況,都會第一時間上報到我這裡。所以,接到電話以後再考慮對策也完全來得及」。然而後來,當我問「森山大臣,專線電話當時是什麼情況?」時,他回答「電話沒有響哦」。居然有這樣的事情。作為監督部門的科學技術廳和警察部門都沒有收到關於事故的報告,倒是電視新聞搶先一步。

カネで黙らせて済む話ではなかった

ただでさえ反対が強かった大湊港は、當然ながら寄港を拒否。そのほかの港も當然拒否で、「さまよえる原子力船」となってしまった。どこへ行っても、その港の港灣労働者と漁協が大騒ぎした。そのたびに私は警備課長として部隊を現地に派遣せねばならず、急に忙しくなった記憶がある。

漁協がみんな漁業補償をしろといって手を出してくる、みっともない限りの狀況だった。それに対応していたのが自民黨総務會長の金丸信である。徹底的に札びらでほっぺたを叩くという、金権政治丸出しのやり方で結局、漁業関係者を黙らせようとした。ところが、そうなってしまうと、漁民たちの要求もとどまるところを知らなくなる。原子力船「むつ」を廃棄せよ、原子力船の指定港の波止場など港灣施設を全部破壊して元に戻せ、と。それに、約20億円かかった。

これだけの騒動になったのに政府の原子力行政は化學防護車を用意するとか、ほかの原子力施設の欠陥はないか一斉検査するとか、危機管理を強化する方向には向かうことはなかった。事故が起きうるという危機管理の大前提は、安全神話の霧の中に入れておいた。これが、原子力船「むつ」の結果なのだ。

不是用錢就能平息的事情

原本就強烈反對試航的大湊港當然拒絕該船回港停靠,自然也被其他港口拒之門外,於是它變成了一艘「核動力流浪船」。無論去哪裡,當地港口的工人和日本漁業協同組合(漁協)都會大吵大鬧。作為警備課長,我每次都必須向當地派遣部隊,記得那時我一下子就忙了起來。

漁協要求針對所有人給予漁業補償,實在不成體統。當時負責解決此事的是自民黨總務會長金丸信。他打算採用露骨的金權政治方式,用鈔票堵住那些漁業從業者的嘴。可是這樣一來,漁民們也變得得隴望蜀。他們要求廢棄「Mutsu」號、要求全部拆除核動力船專用碼頭的港灣設施並恢復原狀等,而且這些工作花費了大約20億日元。

儘管發生了如此之大的風波,但政府的核能部門卻沒有朝著強化危機管理的方向邁進,既沒有配備化學防護車,也沒有對其他核設施是否存在缺陷實施全面檢查。可能發生事故這樣一種危機管理的大前提,完全被擱置在了安全神話的迷霧之中。這就是「Mutsu」號核動力船事故的結局。

事件事故を扱うことができない監督官庁

そもそも、原子力開発はその後も科學技術庁が所管だった。しかし、原子力施設の事件事故の対応は科學技術庁では無理だ。第一、科學技術庁には事件事故に対する実働部隊が存在しない。それに、この役所の性質からして「事件事故」という発想がないからだ。

それが如実に表れたのが、1995年12月の高速増殖爐「もんじゅ」の冷卻材ナトリウム漏洩火災事故だった。このとき科學技術庁の審議官が記者會見で、「もんじゅで起こった事象は」と発言した。それで、記者クラブが騒然となって、「事象とは何だ。事件とか事故というべきだ」と迫ったら、この審議官は「科學技術庁の內規によると、これは事象である。人身事故に及ぶと事件。人身事故のない機械だけ壊れたとか焼けたというのは事故。ナトリウムが漏れるというのは、事件、事故という範疇にも入らない。これは事象である」と頑張った。

私はずっとそれを聞いていて、ばかなことをいっているなと思った。そのときの新聞かテレビのコメントで、「あれを事象と呼ぶのはおかしい。嵐や雷とか、天然現象になってしまうから、ナトリウム火災を天然現象であり、人災ではないといっていることになる。嵐や雷と同じに、原子力発電所ナトリウム事故を扱うことが、內規だとすれば、內規を変えなければ駄目だ」ということを言った。

そうしたら、その審議官から、長い手紙が來た。「あなたは內規を読んでいるのか。そこに書いてあるからそれでいいんだ」という変な頑張り方を、その審議官はされた。分厚い手紙で、肉筆で書いていた。それをより目になって書いている審議官というのは、それはそれで鬼気迫るものがあるが、あきれ果ててしまった。

無力處理事件和事故的監督部門

核能開發後來依然由科學技術廳管轄。但科學技術廳卻無法應對核設施的事件或事故。第一,科學技術廳沒有應對事件和事故的實戰部隊。並且,作為政府部門的屬性,它本身就缺乏「事件或事故」隨時可能發生這種思維。

1995年12月的「Monju」號快中子增殖反應堆冷卻材料液態鈉泄露和火災事故,就如實地反映了這一點。當時,科學技術廳的審議官在新聞發布會上,是用「Monju出現的現象……」來表述的。頓時,記者俱樂部一片嘩然,當被追問「現象是什麼意思?應該稱作事件或者事故」時,這位審議官強辯稱「依據科學技術廳的內部規定,這是一種現象。如果涉及人身事故,那便是事件;沒有人身事故,僅僅是機械損壞或者燒毀的情況,則屬於事故。鈉泄露不屬於事件或事故的範疇。這是一種現象」。

我一直在聽他的解釋,覺得他一派胡言。我在當時的報紙和電視評論中表示,「將之稱為現象是很奇怪的。因為暴風雨、雷電等是自然現象,這就相當於在告訴人們,鈉泄露火災是自然現象而非人禍。如果內部規定要求像應對暴風雨和雷電那樣處理核電站鈉泄露事故,那就必須改變內部規定」。

後來,那位審議官給我寄來一封長信。話語中透露出一種怪異的堅持——「你讀過內部規定嗎?規定是那樣寫的,所以沒什麼不對的」。厚厚的一封信,完全手寫而成。審議官瞪著鬥雞眼寫信的陰森之氣躍然紙上,令人毛骨悚然。

轉載結束


  1. 初從文,三年不中;改習武,校場發一矢,中鼓吏,逐之出;乃學醫,有所成。自撰一良方,服之,卒。《楊一笑傳》(疑似自嘲杜撰,不然,可真慘···)----------------------------------------------------------------------------我是不要臉求關注分割線----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
  2. 王朴,性耿直,老愛和皇帝爭論(數與帝辯是非,不肯屈)。有一次和皇帝急了眼,皇帝很生氣,下令要殺他。押到刑場又把他弄回來:「你知錯了么?」王朴一臉貞潔烈婦的表情:「願速死!」皇帝大怒,命行刑。押著他路過史館,王朴大呼:「劉學士你可給得俺寫下來啊,某年月日皇帝殺無罪御史王朴啊!」竟戮死。《明清進士錄》
  3. 樊士信,兵部主事。燕王朱棣造反,他監督軍餉,大敗叛軍,然後大夥把名字都寫碑文上(諸將勒石記事),某年月大敗叛軍云云。後來燕王捲土重來看到碑文,直接派人按名字一個個收捕(士信遂被逮死)。《明清進士錄》
  4. 游義生,福建連江人。官山東道御史,忤獄卒。年僅二十七歲。(原文如此)《明清進士錄》
  5. 李馬,字德良。永樂十六年一甲一名進士。成祖嫌「李馬」不雅,賜名「李騏」。性嚴毅方正,不苟言笑,耿直不留情面。遇帝崩,母死,妻亡,悲傷卒。《明清進士錄》
  6. 韓應龍,嘉靖十四年一甲一名進士。幼家貧,性至孝,以讀書為事。授修撰,僅一年,猝死。
  7. 朱長春,字大復,刑部主事。罷歸後,習文章,練神仙,集累數案效鳥飛,墮地重傷。
  8. 張以誠,萬曆二十九年一甲一名進士,主考福建鄉試,多取名士。敢言,至孝,父喪,哀痛咳血死。
  9. 劉若宰,崇禎元年一甲一名進士。入翰林修撰,掌修國史。政績平平,官亦不顯而終。(最後給個看起來正常一點的······)


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