讀物 | 夏目漱石:心(3)

讀物 | 夏目漱石:心(3)

來自專欄日語學習筆記6 人贊了文章

今日のおすすめーー<心>

- 夏目漱石,日本近代文學史上最偉大的國民作家,毋庸多言,近日拜讀了《心》,小說用細膩平實的文筆,描繪了我和先生幽微而宏大的精神世界。

- 文章是中篇小說,不算長,推薦閱讀,這裡節選一些喜歡的片段。

上 先生と私(3)

私はこういう事でよく先生から失望(しつぼう)させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。

私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺(うご)かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて來るだろうと思った。

私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解(わか)らなかった。それが先生の亡くなった今日(こんにち)になって、始めて解って來た。

先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気(そっけ)ない挨拶(あいさつ)や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。

傷(いた)ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止(よ)せという警告を與えたのである。

他(ひと)の懐かしみに応じない先生は、他(ひと)を軽蔑(けいべつ)する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

先生常常一類似這樣的情況使我感到失望。他似乎有些察覺,有彷彿根本沒有理會,我一再感到輕微的失望,可又捨不得因此離開先生。相反的,每當我感到不安而搖動的時候,卻更想前進。我想如果再向前跨一步,也許我所期待的東西總會圓滿的呈現在我眼前吧。我很年輕,可是我並沒想把我年輕的血液為一切人而這樣猛烈地跳動。我不曉得為什麼單單對先生卻產生這種心情。直到先生已經過世的幾天,我才開始懂得,先生一開始就沒有討厭我。他對我表示的常常看著像是不在意的寒暄和冷淡的舉動,並不是要躲避我的不愉快的表現。

那時可憐的先生,對於要接近自己的人發出的一種警告,表示自己不值得別人接近,不要過來。彷彿在拒絕別人的親近,在輕蔑別人之前就先蔑視自己了。

私(わたくし)の自由になったのは、八重桜(やえざくら)の散った枝にいつしか青い葉が霞(かす)むように伸び始める初夏の季節であった。

私は籠(かご)を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目(ひとめ)に見渡しながら、自由に羽搏(はばた)きをした。

私はすぐ先生の家(うち)へ行った。枳殻(からたち)の垣が黒ずんだ枝の上に、萌(もえ)るような芽を吹いていたり、柘榴(ざくろ)の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。

私は生れて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。

我獲得解放,已是初夏時節,八重櫻凋謝的枝頭,再不知不覺中已抽出煙霞般的嫩葉。我懷著小鳥出籠般的心情,一面縱目廣闊的天地,一面自由的振翅飛翔。我馬上趕到先生家。枳殼藩籬微暗的枝條上,發出鮮嫩的幼芽;在石榴樹的枯乾上,帶著光著的茶褐色葉子,柔和地映著陽光。一路上處處牽惹我地視線,彷彿生來頭一次見到這景象似的,覺得那樣新奇。

しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。

そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。

それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油斷ができないんです

但是,你認為世上會有那種明擺著的壞人么?這種模子里鑄出來的壞人,當然世上是沒有的。平時都是好人,至少是一般人,但一到關鍵時候,就立刻變成壞人。真是可怕。所以切不可等閑視之。

私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人(おとな)しい男であった。他(ひと)に認められるという點からいえばどっちも零(れい)であった。

それでいて、この將碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊興のために往來(ゆきき)をした覚(おぼ)えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を與えていた。ただ頭というのはあまりに冷(ひや)やか過ぎるから、私は胸といい直したい。

肉のなかに先生の力が喰(く)い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。

私は父が私の本當の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。

我在心裡暗暗把父親和先生作了一番比較。從社會的角度來看,兩個人都是生死無足輕重的老實人。從被人賞識這一點來說,他們都等於零。然而,這位喜歡下將棋的父親,即便僅僅做個娛樂的同伴,也不會使我滿足。而由於過去在遊玩中才有了交往的陌生的先生,竟不知不覺地影響我的頭腦並超過了由玩樂的交際中產生的那種親密關係。只是頭腦這個詞有些冷漠,應該改說成心。在那時的我看來,哪怕說先生的力量滲進我的肉體,先生的生命流入了我的血液中,也是絲毫不過分的。父親使我的生身之父,先生擔任是個外人。當這明顯的事實擺在眼前時,我彷彿剛剛發現一個了不起的真理似的,有些驚愕了。

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