知 乎 是 我 們 最 後 的 歸 宿(自主規制)

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來自專欄船岡書房10 人贊了文章

向外國友人宣傳了下我們的知乎~

大家有空的話可以去點個贊~

在下面粘貼原文,給各位知乎大佬當作找語法錯誤練習

Quora日本語版をQuora中國語版に変更するにはどうすればいいですか?に対するYumeng Zhaの回答 - Quora?

jp.quora.com


日本語版Quoraで日本語と無関係な質問をするのは、あまり良いことではないですね。

が、私からもこういう質問をしたい!の気持ちもあります。

Quoraを開発されてる方々に対して、是非中國語版を開発してくださいという念願を込めて、なぜ「Quora中國版」(=Zhihu.com)があるのに、「Quora中國語版」が求められている理由を説明させていただきたい。

ひとことで言いますと、あやふやな言論規制に制限されたくないからです。

いいかえますと、はっきりとした制限があればそれに則って不適切な発言を自己規制します。

さて、問題なのは、「あやふやな言論規制」とは何でしょうか。

これを解明するには、中國語版Quora(以下Zhihu)をまつわる諸事情を説明しなければなりません。

たまたまテレビにも出てくる「中國版ツイッター(Weibo)」というものの存在は広く知られていると思いますが、それと似たような仕方で、Quoraの中國版も早くも作られています(パクられています)。

パクるというと語弊があるかもしれません。というのは、中國では一部の海外サイトにアクセスできない(政治的な原因でユーザーを海外サイトにアクセスさせない)ことから、同じニーズに応えて似たようなものを作るのも、仕方ないといいますか、妥協策といったほうがいいかもしれません。発想を剽竊した時點から確実にパクりではありますが。

ともかく、そうした経緯で、中國版のQuora=Zhihu(2011)と、更にそれに先だった中國版知恵袋(Baiduzhidao)も「作られ」、妥協策としての「中國國內バージョン」も受け入れられました。

最初にZhihuを使ったユーザーのほとんどは歐米に留學、または就職している人で、もともとQuoraを知り、やっと中國語で文章を書けるようになったと、Zhihuにどんどん投稿していました。こうしてプロの人が集まり、専門知識をわかりやすく説明する読みがいのある文章や、問題そのものだけに著眼した示唆に富んだ議論が隨所に見られます。

これもこれで良いことではないかと人々は思うとたんに、転回點は2014年に訪れました。

2014年に、Zhihuのユーザー數は400萬を超え、従來の「プロの集まり」が不可能になり、Zhihuに変化が求められました。

そこで、Zhihuが選んだのはWikipediaのような「誰でも編集できるフリー百科事典」ではなく、「おまえの知識はお金になりますよ」といった、営利化の道でした。

後者を選んだことは、膨大なユーザー數を擁する會社への道を選んだことです。

選択自體は批判の的となるべきではありません。

しかしながら、「中國で」という修飾語を加えれば、事情が複雑になります。

中國では、お金を目當てにして會社をたてることは、厳密ではないが、「公序良俗」を判斷する権利を放棄することにつながります。

というのはどういうことかといいますと、「偉い人たち」が「不適切」だと考えたーー法に則って判斷したのではなく、獨斷と偏見を許す一方的な決斷によって決められたーー內容を、會社が削除しなければなりません。

これを、「あやふやな言論規制」と呼びうるでしょう。

これは困ります。

基準も規範も一切表に出されず、ただただ「どっかにいる誰か」があれと思っただけで苦労して書き下ろした文章は「コンテンツはすでに削除された」になってしまいます。

地雷を踏んじゃいけないよといわれたらまだなんとかしのぎますが、

もう自由にしなさいと言いつつ地雷の畑に送り込まれたら生きてらんないですよ。

どうすればいいか分からない、抗弁の機會さえも與えられていない。

殘されたの戦慄だけ。

自由になされた議論も、専門知識を分かち合うために書かれた文章も、これで台無しです。

繰り返しますが、営利化自體も、更に多くのユーザーを集めたいという欲求も咎められるべきでなりません。

ただ、中國ならではの現狀を含めて考えると、上記の選択は初心をあきらめるのを余儀なくさせることになります。

Zhihuの初心とは何ぞや。

それはQuoraとちっとも変わらず、「知識を分かち合い、知の喜びを分かち合う」ことに他なりません。それだからこそ、「専門知識をわかりやすく説明する読みがいのある文章と、問題そのものに著眼した示唆に富んだ議論」をもとめて人々は集まったのです。

2014年以前からZhihuを使った人なら、誰でもかつてのZhihuに戻りたいと、ここで斷言できます。戻ることが不可能でしたら、新たな浄土を拓いても構いません。

これは単なる安価なノスタルジーではありません。

とっくにからZhihuを使っている人たちはまだまだ書きたいものいっぱいですーー

ーー中國と一切関わらないある外國思想家に觸れただけでお蔵入りにするしかないという屈辱をこらえながら。

有料にしてもいい、VPNなしにアクセスできなくてもいい。

もう一度、「知を分かち合う喜び」を味わいたいのです。

ぜひとも、Quoraの中國語版の作成をご検討ください。

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