如何高明的殺死一隻貓
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我喜歡殺貓,還沒有對任何人說過。
總能在路邊看到餓著肚子發出悲鳴的野貓,那些貓大概不久就會在哪裡死去吧。在寵物商店也能看到沒有賣掉,沒有生氣的貓,我也沒有動心。它們總有一天會被送去流浪貓狗處理中心吧。就是說,如同我每天都在間接的殺死那些貓。
但是,作為殺貓愛好者的我,果然什麼都比不上親手殺掉一隻貓要來的快樂。今天,我會嘗試把我殺貓的方法寫出來,雖然知道寫這些,會被人罵為魔鬼吧。反正抵擋不住這種快樂,爆料一下還是很有趣的吧。
首先,你要成功的得到一隻小貓,在寵物店買,或是從別人那裡要來一隻。盡量要看起來可愛的小傢伙,越是可愛的貓,殺掉的成就不言而喻。
一旦你成功得到一隻貓,就要擰斷它的脖子。。。。這種事情是不可以的。這是何等下等的做法。反正要殺掉它,就用獨一無二的,藝術的方式殺掉它。殺貓,這可是藝術。能享受在藝術中的只有人類中一小部分人而已。
所以,5年,10年,如果可能15年和那隻貓一起生活。這期間給它食物,給它收拾廁所,建議和它一起玩貓尾草打發時間。如果不管貓,它就會死去,這樣利索的殺掉它沒啥意思。一點點的,用上些時間,用最優秀最殘酷的方法奪走它的生命,雖然有些費時也沒辦法。
多來A夢裡面的大熊說過「有了薄煎餅誰還會要爆米花」。想用高明方法殺掉貓的人,不會感覺殺貓過程是多麼無聊。我個人建議給貓做一下絕育手術。但是這也是基於殺貓美學的諸位自己的判斷。
貓年紀大了,身體狀況會很差。很容易生病或者受傷。但是,怎麼能讓它輕易死掉。給它看醫生,讓它堅持到最後的最後。
真的是件費事費力的工作,終於迎來了那隻貓,那小小的心臟停止跳動的時刻。回想著和它一起渡過的日子,貪婪般的看著它漸漸失去生命的軀體,最後用一滴眼淚為它送行。這,才是唯有肯為此花上多年歲月人才能做出來的,終極的,至高無上的,殺貓方式。
我的殺貓方式如何?用此方式殺掉了兩隻貓了,依舊沉浸在此快感中無法自拔。下一個目標已經確定下來了,這次是殺掉兩隻貓。人類啊,真的是容易輸給自己的慾望。
把自己殘酷興趣暴露的原因,是因為我知道。這世界上,意外的有此同樣愛好的人很多。誰心裡都有殘酷的一面吧。是的,你也是一樣。不想試試這,高明的殺死一隻貓的方法嗎?
------------------------原文:貓は勘定にいれません-------------------------
上手な貓の殺し方
今まで隠していたのだが、実は僕は貓を殺すことが大好きだ。
道端で、いかにも腹を空かせた野良貓が哀れっぽく鳴いているのを見ても、一瞥をくれてから通りすぎる。あの貓はおそらくどこかで野垂れ死ぬのだろう。ペットショップで売れ殘った貓を見る。冷酷な僕は、少しくたびれた風な売れ殘り貓にも心を動かされたりはしないのだ。いずれ奴等は保健所行きになるのかもしれない。いわば僕は、毎日間接的に貓を殺しまくっているようなものである。
しかし、殺貓愛好家たる僕にとって、やはり自分の手を下して殺すことに勝るものはないのだ。今日は、僕の取っておきの貓の殺し方を書いてみようと思う。こんなことを書けば鬼畜と罵られるのは目に見えているが、どうせ快楽には抗えないのだから。ここで自分をさらけ出して見るのも一興だろう。
まずは、どこかから子貓を入手しよう。店で買っても良いし、貰ってきても良いだろう。なるべく可愛いと思えるヤツがいい。可愛らしい貓ほど殺しがいがあるというのは自明のことだ。
首尾よく貓を手に入れたら、おもむろに首をキュっと…などということはしない。そんなのは三流のやりかただ。誰でも出來る。どうせなら、自分にだけしか出來ないような、芸術的なやり方をしようじゃないか。殺しはアートだ。アートを楽しめるのは限られた人間だけなのだ。
だから。…5年か10年か、出來れば15年くらいその貓と一緒に暮らすのだ。その間は餌をやったり、トイレの掃除をしたり、貓じゃらしをとってきて遊んだりして過ごすのがお勧めだ。放っておけば貓は死ぬ。だが、あっさりと殺してしまってはつまらない。じわじわと、時間をかけて、最高に殘酷な方法で命を奪うのだ。少々手が掛かるが仕方がないだろう。
かつてのび太は言った。「ホットケーキがあるとわかれば誰がポプコーンなんか…」これから極上の貓殺しをしようという人間が、わざわざつまらない殺しをやる必要があるとは思わない。だから、個人的には去勢手術をしておくことを勧める。これは各人の殺貓美學に乗っ取って判斷して貰いたい。
貓も年をとってくれば、身體の具合が悪くなる。病気になったり怪我をすることもあるだろう。だが、あっさりと死なせはしない。醫者にでも見せてやり、最後の最後まで生かしておくのだ。
さあ、これで細工はりゅうりゅうだ。いつか、あなたの貓もその小さな心臓を止めるときがやってくる。一緒に過ごした日々を思い出しながら、貓が命を失っていく姿をむさぼるように眺め回してやれ。そして涙の一滴も流してやれ。これは、何年もの歳月を費やした人間にしか出來ない、究極の、至高の、貓殺しだ。
どうだろう。これが僕の大好きな貓の殺し方だ。2度ほどやってみたが、あまりの快感が忘れられず、今はまた次の標的に狙いを定めたところだ。なんと、今回は2匹である。人間というのは、つくづく慾望には弱いものだと思う。
こうして自分の殘酷趣味をさらけ出したわけだが、僕は知っている。世の中には意外と、同好の士が多いということを。誰でも心の中に殘酷な部分を持っているのだ。そう…きっとあなたも。「上手な貓の殺し方」、試してみてはいかがだろう。
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早上起來搶福袋的打算,不小心看到這篇文,忍不住簡單翻譯一下分享給在實施殺貓計劃中的同好。當然原文很多詞,翻譯出來很難有那個意境了。
殺貓計劃中。已經實施7年了,真希望小B能一直陪我把這個計劃實施下去。
僅以此文,希望諸同好,殺貓計劃實施的足夠長久。
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