日中関係(1)尖閣「棚上げ合意」 中國「放っておく」が変質
気の重い會談
78年8月10日午後4時半すぎ、北京の人民大會堂で、外相、園田直(すなお)と副首相、鄧小平の會談が始まった。
「愛する中國のために、さらに中國よりももっと愛する日本のために(中略)來訪した」
園田は冒頭、こう切り出した。園田は自身の積年の政治課題である友好條約交渉を妥結するため、満を持して北京に乗り込んでいた。出発日の78年8月8日は「八」が3つ並んで縁起が良い、と喜んだ。交渉は、ソ連を念頭に置く「反覇権條項」の文言調整が2回の外相會談でほぼ終了。鄧との會談は表敬で終わっても良いはずだったが、園田には気の重い役目があった。
「(尖閣の)領有権で言質を取ってくれ」
會談の直前、首相、福田赳夫から電話があったためだ。「(日本の)領有の明確化」は、交渉條件として自民黨の総務會決議に含まれていた。2回の外相會談で取り上げていないことに慎重派が反発、9日の臨時総務會で政府側を突き上げていた。福田は交渉団への訓令に加え、園田に念押しした。「園田さんは『弱ったなあ、弱ったなあ』と言っていた」釣魚台迎賓館の一室での電話の場面に居合わせた園田の政務秘書官、渡部亮次郎(77)はこう振り返る。
メモに押され?
中國課長として同席した田島高志(77)によると、會談は條約の意義などをめぐるやりとりの後、鄧が尖閣に觸れ、「數年、數十年、100年でも脇に置いておけばいい」と語り始めた。
すると、外務審議官、高島益郎、駐中國大使、佐藤正二と席次の逆順にメモが回り始めた。椅子は弧を描くように配置されていたため、中身は田島から見えなかったが、メモを見た園田は鄧の発言が途切れた際、「閣下が尖閣の問題に觸れられたので、私も一言言わなければ帰れない」と切り出した。
「尖閣問題についての日本の立場は閣下のご承知の通りであり、先般のような事件(4月の漁船団領海侵入)を二度と起こさないでいただきたい」
鄧の答えは「中國政府としてはこの問題で日中間に問題を起こすことはない」「次の世代、あるいはその次の世代に委ねればよい」。
園田は特に反応せず、再び取り上げることもなかった。田島は「こちらは実効支配しているし、その時點で得られる最大限のものは得た、良かった、という雰囲気だった」。渡部も「『棚上げ』で合意したとは受け止めなかった」と振り返る。「棚上げ」発言の真相
鄧が「棚上げ合意」に明示的に言及したのは10月25日。東京での福田との會談終了間際に尖閣問題に觸れた後、日本記者クラブで行った記者會見だ。日本語の記録によると、鄧は、72(昭和47)年の日中國交正常化當時と、平和友好條約交渉時に「この問題に觸れないことを約束した」と合意の存在を強調。「10年棚上げしても構いません」と述べた。
當時の音源を聞き直すと、鄧は四川なまりの中國語で、合意については「雙方約定(シュアンファンユエディン)(雙方が約束した)」と明言しているものの、「棚上げ」は「擺(バイ)(放っておく)」という動詞を使っている。中國共産黨中央文獻研究室編「鄧小平思想年譜」によると、園田との會談で鄧は「擺在一遍(バイザイイービエン)(脇に放っておく)」と発言しており、鄧の表現は一貫していると考えられる。日本語訳が変わったのは、會談と記者會見で通訳が別人だったためだろう。
鄧は2度目の失腳前の74(昭和49)年10月にも日本からの訪中団に「棚上げ」(中國語不明)を提案しており、條約締結のための一貫した方針だったとみられる。ただ、これ以降、中國側は、首脳間に「棚上げ」で「合意」ができたと主張し続けることになる。否定?反論せず
鄧の記者會見の後、日本政府が中國側に抗議した形跡はない。田島は「中國側が問題を起こさないと言った以上、論爭しても仕方がない。條約を締結し今後協力を進めていこうという時期で、意見の違いが表だっても得にならないという考えがあったのだろう」と解説する。
日本側にも「棚上げ合意」を「定説」として受け止める向きもあった。83~85(昭和58~60)年に中國課長だった淺井基文(71)は「自分の課長當時、棚上げ合意の存在は省內で共有されていた」と話す。もっとも、文書などで引き継ぎがあったわけではなく、園田?鄧會談の內容などが「皆の頭の中に入っていた」(淺井)だけだという。
中國が92(平成4)年に領海法を制定、尖閣の領有を明記した際、日本政府は外交ルートを通じて抗議したものの、大使召還や実効支配を強化するなどの対抗措置は取らなかった。
園田?鄧會談に同席した後の上海総領事、杉本信行(故人)は著書で、會談で雙方が「暗黙の了解」に達したことを認めながらも、領海法制定で中國側が「明らかに園田?鄧小平會談での合意を変更してきた」と指摘する。92年の対応が適切だったかを含め、海外勤務中の當時の中國課長に質問狀を送ったが、「守秘義務に抵觸する」との理由で回答は得られなかった。=敬稱略(肩書はすべて當時)(田中靖人)
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