【日語共讀】我是貓(2)

吾輩は貓である

夏目漱石

《我是貓》是日本作家夏目漱石創作的長篇小說,也是其代表作。這部作品寫於1904年至1906年9月,1905年1月起在《杜鵑》雜誌上連載,不久,編成上、中、下三冊出版。

夏目漱石為發泄多年鬱憤而寫成的長篇小說《我是貓》,淋漓盡致地反映了二十世紀初,日本中小資產階級的思想和生活,尖銳地揭露和批判了明治「文明開化」的資本主義社會。 這部作品是以一位窮教師家的貓為主人公,以這隻被擬人化的貓的視角來觀察人類的心理。這是一隻善於思索、有見識、富有正義感又具有文人氣質、但至死也沒有學會捕捉老鼠的貓。


ようやくの思いで笹原(ささはら)を這はい出だすと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に來てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も來ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って來た。泣きたくても聲が出ない。

好不容易爬出竹林,一瞧,對面有個大池塘。咱家蹲在池畔,思量著如何是好,卻想不出個好主意。忽然想起:「若是再哭一鼻子,那名學生會不會再來迎接?」於是,咱家咪咪地叫幾聲試試看,卻沒有一個人來。轉眼間,寒風呼呼地掠過池面,眼看日落西山。肚子餓極了,哭都哭不出聲來。

仕方がない、何でもよいから食物(くいもの)のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這(は)って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣(たけがき)の崩れた穴から、とある邸內にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍(ろぼう)に餓死(がし)したかも知れんのである。一樹(いちじゅ)の蔭とはよく雲ったものだ。この垣根(かきね)の穴は今日こんじつに至るまで吾輩が隣家(となり)の三毛(みけ)を訪問する時の通路になっている。

沒辦法,只要能吃,什麼都行,咱家決心到有食物的地方走走。咱家神不知鬼不曉地繞到池塘的右側。實在太艱苦。咬牙堅持,硬是往上爬。真是大喜,不知不覺已經爬到有人煙的地方。心想,若是爬進去,總會有點辦法的。於是,咱家從籬笆牆的窟窿穿過,竄到一戶人家的院內。緣份這東西,真是不可思議。假如不是這道籬笆牆出了個洞,說不定咱家早已餓死在路旁了。常言說得好:「前世修來的福」嘛!這牆根上的破洞,至今仍是咱家拜訪鄰貓小花妹的交通要道。

さて邸(やしき)へは忍び込んだもののこれから先どうして善いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って來るという始末でもう一刻の猶予(ゆうよ)が出來なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の內に這入っておったのだ。

且說,咱家雖然鑽進了院內,卻不知下一步該怎麼辦才好。眨眼工夫,天黑了。肚子餓,身上冷,又下起雨來,情況十萬火急。沒法子,只得朝著亮堂些、暖和些的地方走去。走啊,走啊……今天回想起來,當時咱家已經鑽進那戶人家的宅子里了。

ここで吾輩は彼の書生以外の人間を再び見るべき機會に遭遇したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層亂暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋(くびすじ)をつかんで表へ拋り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。

在這兒,咱家又有機會與學生以外的人們謀面。首先碰上的是女僕。這位,比剛才見到的那名學生更蠻橫。一見面就突然掐住咱家的脖子,將咱家摔出門外。咳,這下子沒命嘍!兩眼一閉,一命交天吧!

しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出來ん。吾輩は再びおさんの隙(すき)を見て台所へ這い上った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと雲う者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬(みんま)を偸んでこの返報(へんぽう)をしてやってから、やっと胸の痞(つかえ)が下りた。

然而,饑寒交迫,萬般難耐;乘女僕不備,溜進廚房。不大工夫,咱家又被摔了出去。摔出去,就再爬進來;爬進來,又被摔出去。記得周而復始,大約四五個回合。當時咱家恨透了這個丫頭。前幾天偷了她的秋刀魚,報了仇,才算出了這口悶氣。

吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家の主人が騒々しい何だといいながら出て來た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿なしの小貓がいくら出しても出しても御台所へ上って來て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚(ひね)りながら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やがてそんなら內へ置いてやれといったまま奧へ這入ってしまった。

當咱家最後一次眼看就要被她摔出手時,「何事吵嚷?」這家主人邊說邊走上前來。女僕倒提著咱家沖著主人說:「這隻野貓崽子,三番五次摔它出去,可它還是爬進廚房,煩死人啦!」主人捋著鼻下那兩撇黑胡,將咱家這副尊容端詳了一會兒說:「那就把它收留下吧!」說罷,回房去了。

主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜(くや)しそうに吾輩を台所へ拋り出した。かくして吾輩はついにこの家を自分の住家(すみか)と極める事にしたのである。

主人似乎是個言談不多的人,女僕氣哼哼地將咱家扔進廚房。於是,咱家便決定以主人之家為己家了。


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