【日語共讀】我是貓(3)

吾輩は貓である

夏目漱石

《我是貓》是日本作家夏目漱石創作的長篇小說,也是其代表作。這部作品寫於1904年至1906年9月,1905年1月起在《杜鵑》雜誌上連載,不久,編成上、中、下三冊出版。

夏目漱石為發泄多年鬱憤而寫成的長篇小說《我是貓》,淋漓盡致地反映了二十世紀初,日本中小資產階級的思想和生活,尖銳地揭露和批判了明治「文明開化」的資本主義社會。 這部作品是以一位窮教師家的貓為主人公,以這隻被擬人化的貓的視角來觀察人類的心理。這是一隻善於思索、有見識、富有正義感又具有文人氣質、但至死也沒有學會捕捉老鼠的貓。


吾輩の主人は滅多(めった)に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。學校から帰ると終日しょさいに這入ったぎりほとんど出て來る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。當人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗(のぞい)て見るが、彼はよく晝寢(ひるね)をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黃色(たんこうしょく)を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。そのくせに大飯を食う。大飯を食った後(あと)でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。

主人很少和咱家見上一面。職業嘛,據說是教師。他一從學校回來,就一頭鑽進書房裡,幾乎從不跨出門檻一步。家人都認為他是個了不起的讀書郎。他自己也裝得很像刻苦讀書的樣兒。然而實際上,他並不像家人稱道的那麼好學。咱家常常躡手躡腳溜進他的書房偷偷瞧看,才知道他很貪睡午覺,不時地往剛剛翻過的書面上流口水。他由於害胃病,皮膚有點發黃,呈現出死挺挺的缺乏彈性的病態。可他偏偏又是個饕餮客,撐飽肚子就吃胃腸消化葯,吃完葯就翻書,讀兩三頁就打盹兒,口水流到書本上,這便是他夜夜雷同的課程表。

吾輩は貓ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽(らく)なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寢ていて勤まるものなら貓にでも出來ぬ事はないと。それでも主人にいわせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が來る度(たび)に何とかかんとか不平を鳴らしている。

咱家雖說是貓,卻也經常思考問題。當教師的真夠逍遙自在。咱家若生而為人,非當教師不可。如此昏睡便是工作,貓也幹得來的。儘管如此,若叫主人說,似乎再也沒有比教師更辛苦的了。每當朋友來訪,他總要怨天尤人地牢騷一通。

  吾輩がこの家へ住み込んだ當時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳(は)ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日(こんにち)に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出來得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍(そば)にいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝ひざの上に乗る。彼が晝寢をするときは必ずその背中(せなか)に乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別にかまい手がなかったからやむを得んのである。

咱家在此剛剛落腳時,除了主人,都非常討厭咱家。他們不論去哪兒,總是把咱家一腳踢開,不予理睬。他們是何等地不把咱家放在眼裡!只要想想他們至今連個名字都不給起,便可見一斑了。萬般無奈,咱家只好盡量爭取陪伴在收留我的主人身旁。清晨主人讀報時,定要趴在他的後背。這倒不是由於咱家對主人格外鍾情,而是因為沒人理睬,迫不得已嘛!

その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃(めしびつ)の上、夜は炬燵(こたつ)の上、天気のよい晝は椽側(えんがわ)へ寢る事とした。しかし一番心持の好いのは夜(よ)に入(い)ってここのうちの小供の寢床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入(はい)って一間(ひとま)へ寢る。吾輩はいつでも彼等の中間に己(おのれ)を容(い)るべきよちを見出してどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼を醒(さ)ますが最後大変な事になる。小供は――ことに小さい方が質(たち)がわるい――貓が來た貓が來たといって夜中でも何でも大きな聲で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人は必(かなら)ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現にせんだってなどは物指(ものさし)で尻ぺたをひどく叩(たた)かれた。

其後幾經閱歷,咱家決定早晨睡在飯桶蓋上,夜裡睡在暖爐上,晴朗的中午睡在檐廊中。不過,最開心的是夜裡鑽進這家孩子們的被窩裡,和他們一同入夢。所謂「孩子們」,一個五歲,一個三歲。到了晚上,他們倆就住在一個屋,睡在一個鋪。咱家總是在他們倆之間找個容身之地,千方百計地擠進去。若是倒霉,碰醒一個孩子,就要惹下一場大禍。兩個孩子,尤其那個小的,體性最壞,哪怕是深更半夜,也高聲號叫:「貓來啦,貓來啦!」於是,患神經性消化不良的主人一定會被吵醒,從隔壁跑來。真的,前幾天他還用格尺狠狠地抽了咱家一頓屁股板子哪!


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