【日語共讀】我是貓(09)

吾輩は貓である

皆さん、こんばんは。

今天繼續由主播Candy為大家帶來

夏目漱石的《我是貓》共讀。


我是貓09-

《我是貓》是日本作家夏目漱石創作的長篇小說,也是其代表作。這部作品寫於1904年至1906年9月,1905年1月起在《杜鵑》雜誌上連載,不久,編成上、中、下三冊出版。

夏目漱石為發泄多年鬱憤而寫成的長篇小說《我是貓》,淋漓盡致地反映了二十世紀初,日本中小資產階級的思想和生活,尖銳地揭露和批判了明治「文明開化」的資本主義社會。 這部作品是以一位窮教師家的貓為主人公,以這隻被擬人化的貓的視角來觀察人類的心理。這是一隻善於思索、有見識、富有正義感又具有文人氣質、但至死也沒有學會捕捉老鼠的貓。

 或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠(ちゃばたけ)の中で寢転(ねころ)びながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話(じまんばな)しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って下(しも)のごとく質問した。

「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」

智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底(とうてい)黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがに極(きま)りが善(よ)くはなかった。けれども事実は事実で詐(いつわ)る訳には行かないから、吾輩は

「実はとろうとろうと思ってまだ捕(と)らない」と答えた。

黒は彼の鼻の先からぴんと突張(つっぱ)っている長い髭(ひげ)をびりびりと震(ふる)わせて非常に笑った。元來黒は自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって、彼の気焔(きえん)を感心したように咽喉(のど)をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御(ぎょ)しやすい貓である。吾輩は彼と近付になってから直(すぐ)にこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじい己(おの)れを弁護してますます形勢をわるくするのも愚(ぐ)である、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すに若(し)くはないと思案を定(さだ)めた。そこでおとなしく

「君などは年が年であるから大分(だいぶん)とったろう」とそそのかして見た。

果然彼は墻壁(しょうへき)の欠所(けっしょ)に吶喊(とっかん)して來た。

「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。

彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向って酷(ひど)い目に逢(あ)った」「へえなるほど」と相槌(あいづち)を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて雲う。

「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰(いしばい)の袋を持って椽(えん)の下へ這(は)い込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰(めんくら)って飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。

「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生(ちきしょう)って気で追っかけてとうとう泥溝(どぶ)の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采(かっさい)してやる。

「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後(さいご)っ屁(ぺ)をこきゃがった。臭(くせ)えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」

彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今(いま)なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨(にら)まれては百年目だろう。

君はあまり鼠を捕(と)るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出(ていしゅつ)した。

彼は喟然(きぜん)として大息(たいそく)していう。

一天,咱家和大黑照例躺在茶園裡天南海北地閑聊。他又把自己老掉牙的「光榮史」當成新聞,翻來覆去地大吹大擂。然後,對咱家提出如下質問:

「你小子至今捉了幾隻老鼠?」

論知識,咱家不是吹,遠比大黑開化得多。至於動力氣、比膽量,畢竟不是他的對手。咱家雖然心裡明白,可叫他這麼一問,還真有點臊得慌呢。不過,事實畢竟是事實,不該說謊,咱家便回答說:

「說真的,一直想抓,可還沒有動手哩!」

大黑那從鼻尖上兀自翹起的長須嘩啦啦的亂顫,哈哈笑起來。

原來大黑由於傲慢,難免有些弱點。只要在他的威風面前表示心悅誠服,喉嚨里呼嚕嚕地打響,表示洗耳恭聽,他就成了個最好擺弄的貓。自從和他混熟以來,咱家立刻掌握了這個訣竅。像現在這種場合,倘若硬是為自己辯護,形勢將越弄越僵,那可太蠢。莫如索性任他大說而特講自己的光榮史,暫且敷衍它幾句。就是這個主意!於是,咱家用軟話挑逗他說:

「老兄德高望重,一定捉過很多老鼠吧?」

果然,他在牆洞中吶喊道:「不算多,總有三四十隻吧!」

這便是他得意忘形的回答。他還繼續宣稱:「有那麼一二百隻老鼠,俺大黑單槍匹馬,保證隨時將它消滅光!不過,黃鼠狼那玩藝兒,可不好對付喲!我曾一度和黃鼠狼較量,倒血霉啦!」

「咦?是嗎?」咱家只好順風打旗。而大黑卻瞪起眼睛說:

「那是去年大掃除的時候,我家主人搬起一袋子石灰,一跨進廊下倉庫,好傢夥,一隻大個的黃鼠狼嚇得竄了出來。」

「哦?」咱家裝出一副吃驚的樣子。

「黃鼠狼這東西,其實只比耗子大不丁點兒。俺斷喝一聲:你這個畜牲!乘勝追擊,終於把它趕到髒水溝里去了。」

「幹得漂亮!」咱家為他喝彩。

「可是,你聽呀!到了緊急關頭,那傢伙放他媽的毒煙屁!臭不臭?這麼說吧,從此以後覓食的時候,一見黃鼠狼就噁心喲!」

說到這裡,他彷彿又聞到了去年的狐騷味。伸長前爪,將鼻尖擦了兩三下。咱家也多少感到他怪可憐的,想給他打打氣。

「不過,老鼠嘛,只要仁兄瞪它一眼,它就小命玩完。您捕鼠可是個大大的名家,就因為凈吃老鼠,才胖得那麼滿面紅光的吧?」

這本是奉承大黑,不料效果卻適得其反。大黑喟然嘆曰:

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