【日語共讀】我是貓(11)

《我是貓》

夏目漱石

《我是貓》是日本作家夏目漱石創作的長篇小說,也是其代表作。這部作品寫於1904年至1906年9月,1905年1月起在《杜鵑》雜誌上連載,不久,編成上、中、下三冊出版。

夏目漱石為發泄多年鬱憤而寫成的長篇小說《我是貓》,淋漓盡致地反映了二十世紀初,日本中小資產階級的思想和生活,尖銳地揭露和批判了明治"文明開化"的資本主義社會。 這部作品是以一位窮教師家的貓為主人公,以這隻被擬人化的貓的視角來觀察人類的心理。這是一隻善於思索、有見識、富有正義感又具有文人氣質的貓。


自知の明あるにも関せずその自惚心はなかなか抜けない。中二日置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

昨夜は僕が水彩畫をかいて到底物にならんと思って、そこらに拋って置いたのを誰かが立派な額にして欄間に懸けてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだと獨りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。

 主人は夢の裡まで水彩畫の未練を背負ってあるいていると見える。これでは水彩畫家は無論夫子の所謂通人にもなれない質だ。

 主人が水彩畫を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美學者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭第一に「畫はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って寫生を力めているが、なるほど寫生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔しから寫生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。さすがアンドレア?デル?サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア?デル?サルトに感心する。美學者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア?デル?サルトさ。あれは僕のちょっと捏造した話だ。君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悅の體である。

主人儘管有如此自知之明,而孤芳自賞的心理卻仍難除卻。隔了兩天,到了十二月四日,日記中又敘述了如下情節:

  昨夜做了個夢:我覺得畫水彩畫畢竟不成器,便將畫棄了。但不知是誰把那幅畫鑲在漂亮的匾額里,掛在橫楣。這一來,連我自己都覺得那幅畫變成了佳作。我萬分高興,這太棒了。我獃獃地欣賞,不覺天已破曉。睜眼一看,那幅畫粗劣如舊,簡直像旭日昭昭,一切都那麼明明白白。

  主人連在夢中漫步,似乎都對水彩畫情意依依,自命不凡。看來,不要說水彩畫家,按其氣質,就連他所謂的風月老手,也是當不成的。

  主人夢見水彩畫的第二天,常來的那位戴金邊眼鏡的美學家,久別之後,又來造訪。他剛一落座,劈頭便問:

  「繪畫怎麼樣?」

  主人神色自若地說:「聽從您的忠告,正在努力畫寫生畫。的確,一畫寫生,從前未曾留心的物體形狀及其色彩的精微變化,似乎都能辨認得清晰。這令人想到,西方畫就因為自古強調寫生,才有今日的發展。好一個了不起的安德利亞!」

  他若無其事地說著,隻字不提日記里的話,卻再一次讚佩安德利亞。

  美學家邊笑邊搔頭:「老實說,我那是胡說八道。」

  「什麼?」主人還沒有醒悟到他正在受人捉弄。

  「什麼?就是你一再推崇的安德利亞的那番話,是我一時胡謅的。不曾想,你竟然那麼信以為真。哈哈哈……」。

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