【N0】【天聲人語】20180302津波の語(かた)り部逝(ゆ)く

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津波の語(かた)り部逝(ゆ)く

海嘯講述者於近日逝世

「三月三日のおひなまつりの夜でした。よっちゃんがおばあさんとねているとガタガタと大きな地震が」。岩手県宮古市田老(いわてけんみやこしたろう)で暮らした田畑(たばた)ヨシさんが紙芝居で再現するのは、1933(昭和8)年に三陸地方を襲った地震と津波である

「3月3日女兒節那天夜裡,小由與祖母正在熟睡,突然大地開始劇烈晃動,地震來了!」居住在岩手縣宮古市田老的田畑由女士通過連環畫再現了1933年(昭和8年)襲擊三陸地方的地震和海嘯。

▼主人公よっちゃんは當時8歳のヨシさん。赤い著物で転びながら裏山へ走る。からくも命をつないだのは明治三陸津波で家族全員を奪われた祖父の教えのおかげだ。「命てんでんこ」。命は各人が授かったもの、大切な命は自分で守れ、津波はまた來る。何度もそう言われた

主人公小由就是當時8歲的田畑由女士。她穿著紅色的和服跌跌撞撞地跑向後山。多虧了祖父的教導才好不容易保住了性命,祖父的家人葬身於明治年間的海嘯,所以祖父曾多次告訴小由:「要保住自己的生命。」人各有命,需要各自珍惜,海嘯還會來的。

▼ヨシさんが紙芝居を作ったのは50代半ばのこと。內陸育ちの孫(まご)が近くへ越(こ)してきた。ならば祖父にならい、生(い)き抜(ぬ)く知恵(ちえ)を伝(つた)えねばならない

由女士從55歲左右開始創作連環畫,是因為在內陸地區長大的孫子搬到她身邊居住(她所在的岩手縣是沿海城市),她認為自己必須效仿祖父將生存的智慧告訴孫子。

▼津波はやはりやってきた。東日本大震災である。86歳のヨシさんは再び高台を目指した。自宅は流され、わが家の土台(どだい)にはよその家が流れ著いた。ヨシさんの語り部活動はいっそう忙しくなる。頼(たの)まれれば他県へも出(で)かけた

東日本大地震發生後,海嘯終究是來了。86歲的由女士再次爬到了高處。自己的房子被海嘯沖走了,鄰居的房子漂到了自家的地基上。(海嘯過後)由女士的講述活動變得更加頻繁,有時也會接受邀請前往其他縣。

▼演(えん)じ方は際(きわ)だっている。とつとつと低い聲で読み進(すす)める。「棒読(ぼうよ)み調(ちょう)なのに引(ひ)きこまれる。不思議(ふしぎ)な迫力(はくりょく)がありました」と親(した)しかった山崎友子(やまさきともこ)岩手大教授(いわてだいきょうじゅ)。感情を封(ふう)じた読み方は、津波で亡くなった母を思い出すのがつらかったからではないかと話す

引人注目的是她的講述方式。她訥訥地低聲講述。和她相熟的岩手大學教授山崎友子說:「雖然她講述單調,但卻被深深地吸引,有一種不可思議的感染力。」她認為田畑由這種將感情封存的講述方式,是因為想起死於海嘯的母親而感到痛苦。

▼おととい93歳で亡くなった。晩年まで一人で演じた。祖父と母の運命を暗転(あんてん)させた津波を、孫や曽孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)の世代に伝えたい。「命てんでんこ」。素樸(そぼく)な絵と飾(かざ)らぬ語(かた)りが、幾人の胸に刻(きざ)んでくれたことか。

由女士於前日去世,享年93歲。她堅持一個人演出直到晚年。她想要將改變祖父和母親命運的海嘯悲劇講給孫子輩、曾孫輩、玄孫輩聽......這樣一輩輩傳遞下去。「要保住自己的生命」這樣一句樸實無華的話語,銘刻在了許多人的心中吧。

【天聲單詞】

▽紙芝居(かみしばい③):物語の場面を何枚かの絵にかき,順に紙をめくって,劇的に説明しながら,子供に見せるもの。拉洋片。連環畫劇。一種以兒童為對象的演藝形式。一種把故事情節等描繪成多幅畫面轉入相框、一次讓人觀看,同時念對白解說的曲藝形式。始於1931年前後,初為吸引兒童向其銷售糖果,後也用於教育。

▽からくも①: 同:やっと|ようやく|何とか|どうにか好容易才,總算才

▽とつとつ?:訥訥,結結巴巴。(口ごもりながら話すさま。)

▽棒読み(ぼうよみ?):不分語句不加抑揚頓挫地讀;(日本人以日語音)直讀(中國古典文學)。

▽暗転(あんてん)?:【自サ】 ;〈劇〉(不閉幕而在)黑暗中轉換場面;舞台暗轉。(演劇で、幕を下ろさず、舞台を一時暗くして場面を変えること。);(事態)突然惡化。(事態が急に悪いほうへ変化すること。)

【背景資料】

1.昭和三陸地震

 昭和三陸地震(しょうわさんりくじしん)は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現?釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経145度7.0分)を震源として発生した地震。

2.田畑ヨシ

 田畑ヨシ(たばた

ヨシ、1925年1月6日- 2018年2月28日)は、日本の岩手県宮古市田老地區出身の津波防災教育活動家。

 昭和三陸津波體験をもとに紙芝居「つなみ」を自作し、地區內外の児童に講演で津波の恐怖を語り続け、地域の防災教育に貢獻してきた。東日本大震災を機に、30年以上にわたる彼女の地道な啓発活動が腳光を浴び、「津波の語り部」として全國的に知られることになった。社団法人?全國海岸協會による「海岸功労者」の2006年度表彰者の1人。

1933年、本人が8歳のときに昭和三陸地震が発生。大津波が押し寄せる中、祖父の教え「命てんでんこ」が功を奏し、山の上に避難して生き延びた。周囲には同様に、彼女の祖父の教えにより生き延びたと語る人々が大勢いたことから、言い伝えによる教訓の重要さを認識する。ただしこの時の地震で母親を失っている。

2011年には東日本大震災により、人生で2度目の津波を體験。同震災後は岩手の自宅が津波で流されたため、青森県青森市の息子夫婦のもとに身を寄せ、避難生活の中にもかかわらず、同年5月より紙芝居の読み聞かせを再開している。

2018年2月28日午後1時27分、出血性胃潰瘍のため青森市民病院で死去。93歳沒。

3.紙芝居『つなみ』

 田畑ヨシが1979年に製作した手製の紙芝居。內容は、幼いヨシが祖父から津波の教訓を聞かされながら育ち、やがて実際に昭和三陸地震の津波に遭うといった実體験の物語で構成されている。2011年、岩手大學教授?山崎友子の監修により、英訳と解説文を加えて絵本化され、産経新聞出版より市販された。防災教育に役立てたいとの依頼により、各地の小中學校や自治體にもこの絵本が置かれるようになった。

4.「命てんでんこ」

 津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語である。

 この標語は、1990年(平成2年)11月に岩手県下閉伊郡田老町(現?宮古市)にて開催された第1回「全國沿岸市町村津波サミット」において、津波災害史研究家である山下文男らによるパネルディスカッションから生まれたものであるが、三陸地方では昔から「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきたという。同様の標語に、自分の命は自分で守れという意味の「命てんでんこ」がある。

 「てんでんこ」は、「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辭「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」をそのまま共通語に置き換えると、それぞれ「津波はめいめい」「命は各自」になる。

 「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が來たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。

 また、「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律でもあると言い、災害後のサバイバーズ?ギルト対策や人間関係修復の意味を言外に含むとされる。

5.東日本大震災

 東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼稱される。

 この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。

來源:朝日新聞

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