【N0】【天聲人語】20180303箱根(はこね)山(やま)に登る
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箱根(はこね)山(やま)に登る
攀登箱根山
いわゆる御三家(ごさんけ)の一つ、尾張(おわり)徳川(とくがわ)家(け)はいまの東京都新宿區に東京ドーム10個分もの広大な庭園「戸山(とやま)荘(そう)」を構えた(かま)。「すべて天下の園池(えんち)はまさにこの荘をもって第一とすべし」。11代將軍家斉(いえなり)を感嘆させた。
被稱為德川御三家之一的尾張德川家曾在如今的東京都新宿區修建了一個大型庭園「戶山莊」,其大小堪比十個東京巨蛋。第11代將軍德川家齊曾為此感嘆道:「天下園池,唯此園當稱世間第一。」
▼造園には贅(ぜい)を盡くした。池を掘って橋を架け、蛙(かえる)や蛍(ほたる)を放つ(はな)。殘土(ざんど)を積んで( つ)山を築(つ)き、玉(たま)を伏(ふ)せた形に整えて「玉円峰」と命名した。圧巻(あっかん)は小田原(おだわら)宿(しゅく?じゅく)を模した( も)一角。米屋、茶店、酒屋など三十數軒を並べ、將軍お成りとなれば売り子、駕籠(かご)かきもそろえた。
庭園的建造極盡奢華。挖水池、架橋樑、放蛙螢。堆砌棄土修築小山,將其形狀修整為卧卵形並命名為「玉元峰」。最出彩的莫過於仿造小田原宿而建造的一部分。米店、茶館、酒屋等30多家店鋪鱗次櫛比地排列著,將軍親臨時還會有小販和轎夫聚集在這裡。
▼小寺(こでら)武久(たけひさ)著『尾張藩江戸下屋敷(しもやしき)の謎(なぞ)』によると、入園が許されたのは武家(ぶ け)の中でも限られた者(もの)のみ。體裁を気にする武士たちも園內でははめを外(はず)した。武家専用のテーマパークである。
據小寺武久所著的《尾張藩江戶下邸宅之謎》記載,入園者僅限武士家族中的特定人士。平日里講究體面的武士們也會在園內釋放自我。可以稱得上是武士家族專用的主題公園。
▼先日、権勢(けんせい)の跡を歩いてみたが、池や泉も礎石(そ せき)の跡もわからない。戸山荘は江戸末期に地震や大火で荒廃した。明治政府は屋敷跡を陸軍用地とする。戦後、一角が都立(とりつ)公園(こうえん)となった。
前些日子,筆者到此探尋了權勢的痕迹,卻發現水池、泉水、基石均已無跡可尋。戶山莊毀於江戶末期的地震和大火。明治政府將這塊遺地徵用為陸軍軍事用地。戰後,其一部分成為了都立公園。
▼玉円峰の名は忘(わす)れ去(さ)られたが、山はそのまま殘った。「私たちは箱根山と呼んできました。架空( か くう)の小田原宿にちなんだ名です」と地元の町會連合會長、桑島裕武(くわじまひろたけ)さん(78)は話す。愛著は深く、8年前に町內會で始めた行事にも「箱根山駅伝」と名を付けた。今年はあす4日に開かれる。
玉元峰這個名字逐漸被世人遺忘,然而山峰依舊聳立在那裡。當地78歲高齡的町會聯合會長桑島裕武先生解釋道:「我們後來稱這座山峰為箱根山,這個名字源於虛擬的小田原宿」。懷著對箱根山的留戀,8年前,他將在町會上舉辦的活動命名為「箱根山長跑接力賽」。今年的比賽將於明日4號舉辦。
▼箱根山の標高は、わずか44メートル。「東京23區內最高峰」「無事に下山ください」。大仰(おおぎょう)な説明板につられて殿(との)様(さま)気分に浸ろ(ひた)うとしたものの、栄華をしのぶよすがは見つけられなかった。徳川の世(よ)が去(さ)って151年目の春である。
箱根山的海拔僅為44米。「東京23區最高峰」「請平安下山」,受這些浮誇提示板的影響,想要讓自己陷入到身份尊貴的感覺中,然而並不能找到緬懷繁華的寄託之地。當下已是距離德川逝世的第151個春天。
【天聲單詞】
△贅を盡くす(ぜいをつくす):〈慣〉極其奢侈。(物事をできるかぎりぜいたくにする。ぜいたくを極める。)
△圧巻(あっかん?):〈名〉(書刊中最精彩的部分)壓卷。(演齣節目中最精彩的部分)壓軸。(書物?催し物などの中で最もすぐれた部分。)
△駕籠(かご?):〈名〉肩輿,轎。(乗用具の一。竹製または木製で、人の乗る部分を1本の長い柄につるし、前後から擔いで運ぶもの。古くから使われたが、江戸時代に広く普及した。四つ手駕籠?山駕籠?宿駕籠など。)
△駕籠舁き(かごかき?③④):〈名〉轎夫(駕籠に人を乗せて運ぶ職業の人。かごや。)
△下屋敷(しもやしき③):〈名〉(住在江戶的大名的)別墅。(江戸時代、本邸以外に江戸近郊に設けられた大名屋敷。)
△羽目を外す(はめをはずす):〈慣〉過分,盡興,盡情。(興に乗って度を過ごす。)
△架空(かくう?):〈名/ナ形容詞〉1.架空。空中架設。(空中にかけわたすこと。)2.虛構(事実に基づかず,想像で作ること。)
△大仰(おおぎょう?①③):〈ナ形容詞〉1. 誇大,誇張。(おおげさ。)2. 鋪張,小題大做。(規模や計畫の大きいこと。また、そのさま。)3. 同:大形。
【背景資料】
1. 戸山荘
尾張藩の徳川光友が寛文年間(1661年~1673年)に、箱根山を中心に東海道五十三次に似せて造った、戸山荘庭園がありました。この庭園 は起伏に富む地形を活かして造られた約449,000平方メートルに及ぶ広大なもので、その8割が池という池泉回遊式の名園でした。その一畫に高さ 44.6mのお椀をふせたような形の玉円峰と呼ばれる築山があり、それが現在の箱根山です。明治6年から終戦まで、ここに陸軍の兵學校がありました。それを記念する碑が、箱根山の麓に建っています。
2. 箱根山(東京都)
尾張藩徳川家の下屋敷時代の築山の名殘というのが箱根山。山頂にある水準點の標高は44.6mで、人工の山ながら「東京23區の最高峰」で、山手線內の最高點。1671(寛文11)年、尾張藩2代藩主?徳川光友が造営を開始した下屋敷の大庭園に築かれた山です。
3. 徳川時代
徳川家康が征夷大將軍に任ぜられた慶長8年(1603)から、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して將軍職を辭した慶応3年(1867)までの、江戸に徳川幕府(江戸幕府)の存続した265年間。家康が関ヶ原の戦いに勝利を収めた慶長5年を始期とする説もある
來源:朝日新聞
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