為什麼日本人睡地板?關於日本人的榻榻米情結。

文章導讀:我以前也經常被提問:「日本人為什麼喜歡睡地板、坐在地板上?」,韋豐也機智地用不同的回答來應付不同的人。

「因為日本文化就是這樣的,日本人有種『榻榻米情結』,也就是說日本人的地板和我們的地板有文化意義上的不同」這是對喜歡日本文化或者真正想了解日本的人說的。

「因為日本人野蠻落後,他們21世紀都還有睡地板的癖好。」這是對不喜歡日本文化的人說的(這樣說,正好能滿足他們對日本的偏見,又不傷害友誼hhhh國安民樂,豈不美哉!)

不過相信很多人和我一樣,能感受到日本文化和其他文化的不同之處,但是沒法詳細說明,只能支支吾吾地說「這篇東西很日本」「這篇東西一點也不日本」。

閑話不說了,這是一篇文章,關於一個日本人去到德國後的不適應感,引出的日本「榻榻米情結」,也就是日本的「手の感覚」(區別於其他文化的「足の感覚」)。

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先上譯文,服務日語不那麼好的小夥伴們。(文章難度在N2~N1之間,N2以上的小夥伴可以直接看原文):

  剛開始在國外生活的時候,有諸多困惑,其中之一,就是原本已經用慣了的器具,用起來感覺不方便,該有的部件雖然也有,但卻沒有安裝在應該在的地方。比如說吸塵器,按照我們的感覺,電源開關應該安裝在軟管上,並且是在軟管吸塵時手正好撐在的位置。

但是,我在德國居住的房間里,為我配置的吸塵器,開關卻安裝在裝有馬達和垃圾盒的機身上。很長一段時間,令我感到不便的是,要反覆彎腰,打開電源或關閉電源。隨著對地板感覺的變化,終於能自然地站著用腳操縱開關了。就這樣,習慣了用腳操作以後,才領會到了開關做得又大又結實的原因。

  吸塵器電源開關的差異,大概是由於日常生活中,對房間內地面感覺上的不同,和生活空間中視線投向位置高低的不同導致的吧。我們試把一般感覺到手所能及的生活範圍稱作「手感覺」空間,把從手以下的空間稱為「腳感覺」空間。按德國(歐美)感覺,室內地面乃是外部地面的延伸,所以,室外和室內交界之處即玄關和室內無高低之分,是平坦的,居於室內,無需拖鞋,至少就腳下而言,絕無室內和室外那種高低差別的意識。因此,在室內,視線往往多投於腰部以上的空間,至於低於腰部的地方,說不定僅是無價值(不注意會用腳碰倒踢飛)之物的存放地。換言之,地板附近就是個地道的「腳感覺」空間。

與此相反,一般日本人家庭中,室內地板和室外地面,是感覺不同的平面,即使今天日式房間不斷減少,歐式房間占多數的情況下,也未發生改變。日本家庭的地板上,可以坐下甚至躺下,也就是說視線投向的位置都很低,一般來說,日常生活中,極目所視,地板的各個角落,盡收眼底。與其說是日式和西式的天花板高低不同,不如說是室內地面決定了室內不穿鞋這一習慣。我們雖然接觸室內地面,但它並不是彷彿疏遠的「腳感覺」空間,而是手所能及的「手感覺」空間。因此,許多人甚至把一些擔心毀損或者受污的東西,毫不猶豫地放在地板上。而此時的處置方法,和在穿著鞋實施處理時的方法,在細心的程度上,存在著明顯不同。

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原文高能警告!

外國で暮らし始めて戸惑うことのひとつは、使い慣れたはずの道具の使い勝手が異なることである。あるべきものがあるはずのところについていない。例えば、電気掃除機。われわれの感覚では、スイッチは吸い込みホースを持って操作をするときにちょうど支える手がくる位置にあるのが當然と考える。ところが、わたしがドイツで住んでた部屋に備えられていた掃除機の場合、モーターや集塵器などを納める本體にスイッチがあった。しばらくは不便を感じながら、屈んではスイッチを入れ、また屈んではスイッチを切る、を繰り返していたのだが、床に対する感覚が変わってくるにつれ、やっと立ったまま足で操作するのが自然にできるようになった。そうして、足で操作するようになって、スイッチが大きくて丈夫にできていることに納得がいった。 掃除機のスイッチの位置をめぐる彼我の違いは、居住室內の床に対する日常生活上の感覚の違いや生活空間における目線の高低の違いに由來するものだろう。試みに、手で觸ることが普通に感じられる生活範囲を「手の感覚」の場所、それよりしたを「足の感覚」の場所と呼んでおこう。ドイツ(歐米)の感覚では、床は外部の地面延長上にある。だから外部から內部に到る境目、すなわち玄関と室內との段差は存在しないし、室內でも靴は脫がない。少なくとも、足元に関する限り、外と內との間に意識の斷絶はないのだ。したがって、目線は室內でも概して腰より上に安定しがちである。それより下は、誤って蹴っ飛ばしても構わないものしか存在しない場所と言ってもいいかもしれない。つまり、床は完全に「足の感覚」の場所なのである。 それに対して、一般の日本の家屋では、床は地面とは別感覚の平面である。和室が減って、洋風の床が大勢を占めている今日でも、この事情は変わらない。直に床に座ったり、橫になったりする場合もまれではないので、目線の位置は低く、生活の基本的な視線は床の隅々にまで及んでいるのが常である。これには、天井の高低よりも、室內では靴を履かないという習慣が決定的になっているのだろう。室內の床は接していながらも疎遠な「足の感覚」の場所ではなく、「手の感覚」がまだ及んでいる場所なのである。だから、床の上に壊れやすかったり、汚れたりしたら困るようなものまで置くのをためらわない人は多い。そのときの扱い方は、靴を履いた場所で扱うときとは、明らかにデリケートさにおいて異なっているのである。

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聰明的小夥伴們明白了嗎?

日本人の床をどのように考えているか?

A、床は地面の延長でないが、室內での生活は基本的に「足の感覚」であると考えている。

B、床と地面は同じ感覚でも、いったん室內に入れば、靴を脫がなければならないと考えている。

C、床と地面は同じ延長上にあるので、そこに座ったり、橫になったりしても構わないと考えている。

D、床と地面とは別感覚の平面で、そこに壊れやすい物や、汚れやすい物でも置いていいと考えている。

答えはどれですか?


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