【中日雙語】畸形的日本文化

中文由中國朋友陳曉之潤色在此特別感謝

他用的是民國風而非現代白話文,因此,我翻譯成明治風格的古日語,給你們看中日對照的文章。


 就我以一個日本人的觀點而論,日本是一個虛僞而陰險的民族——或許是本國文化中根深蒂固的血統,以至於日本社會有一種外國人,連同中國人在內的黃種人都無法理解的特質。

 吾人は生粹の日本人なれど其の日本人の立場から敢へて直言すれば、世の中に日本人ほど始末に負えぬ民族は無し。日本人なる集團は異邦人をして凡そ理解を困難ならしむるがまでに僞善的かつ陰險酷薄であり、其の天資は因循にして姑息なり。かかる病癖は開闢以來日本人の膏肓に深く染み入れるが如し。そは人種及び文化に於いて比較的近縁なるはずの中華民族及び亞細亞州の諸國民をして日本人とは度し難き奇怪なる隣人と思はしむるに至れり。

 日本的社會像極了一個奇異,充斥著無形危險的森林。在看似緊密團結下,實質上大多數日本國民都生活在深刻的孤獨當中。他們往往害怕被排擠,彷彿那是一種致命的武器,或毒藥。

 日本社會とは猶ほその足下に數多の危險を孕みたる闇深き密林の如し。一歩足を踏み込めば或ひは毒蛇に噛まれ、或ひは奈落の底に転落するが如きはこの社會の常道なり。此れを一瞥すれば、大政翼贊を是とする風潮の下とかく付和雷同を事とせるが如き日本人もその社會の各成員は多く深甚なる孤獨と寂寞との內に呻吟しつつあり。かの最も畏怖する所の者は國家社會から排斥を受け、いはゆる世間樣から爪彈きにされる事なれば、凡そ日本人たる者渡世においては小心翼々として、隣近所と衝突して排斥を招くが如きは最も忌むべく、自ら毒杯をあふるが如く思ひ為す。

 也因而這種緣由,導致了日本民族與其它民族的不同。表面上的禮節實際上是一種虛與委蛇的客套。他們往往不會當面表述出內心想法,但,倘若引起一點不滿,便會在背後大肆對你進行攻訐。

 凡そ日本人は心に深く恨むところがあれども面にはつゆとて出さず、さりとて相手の過失を許すわけでもなければ笑ひの裏に刀を蔵し、恨みを深くしまひ込んで只管他人の陰口を叩くをとかく好む性癖あり。その性眞に醜しと言ふべし。而して一旦好機至れると見れば江戸の仇を長崎で討つが如き非常識も日本人ならば敢へてするものなり。かくの如く矢鱈虛禮や粉飾を有難がる長年の陋習ありしかば日本民族をして何事にも慇懃無禮にして傲慢、事に於いて怠惰ならしめ、その醜態は世界各國諸民族の物笑ひの種となれり。

 而攻訐後的排斥在日本是一種十分致命的存在。日本這個民族,可以說是不健康的一個民族,對於我們日本人而言,最可怖的是排擠。

 他者より受くる陰險酷薄なる排斥はかかる社會においては直ちに生命の安危に關わるものなれば、この國において渡世を致すはなかなか容易に非ず。吾をして之を視しむれば、我儕日本人の集まるところ陰濕なる苛めや村八分の類が橫行し、猶ほ不健全極まりなき一億總シゴキ社會の狂態を呈するに到るが如し。

 日本人的心胸是狹隘的,而遭受排擠是痛苦的,因而好多人在被踢出所在的圈子外後便會以傳統的,外人無法理解的方式來結束自己的生命。而這種自殺式的信仰,亦是從好多年前便在日本蔓延開來的。

 日本人は狹量かつ識見が乏しく視野が狹隘なれば、何にもまして他者からの排斥をば恐る。然れば、かかる世知辛き世の中に於いて日本人の終ひに行き著く所の結末はただ己の生命を度し難きまで気安く放擲するのみ。他國人より見れば殊更に異樣に映るかかる自殺の惡習も、日本人にとりてはあたかも美徳の如く潔い死に樣に見ゆるものなり。加之かかる未開野蠻の俗は昨日今日より始まれるものに非ず。

 在古代,一個武士若是戰敗,最終的下場只可以是自殺——日本武士有著一種莫名的,世人(尤其是外國人為主)無法理解的信仰。他們不畏懼死,但頂怕被人瞧不起的那種感覺。除外,於他們而言最看重的是自己的血緣以及家人。

 往時武家が橫行せる世において戰さに敗れしもののふの唯一の手立ては即ち潔く自害することなり。此れも外國人には度し難き陋習ながら、侍にとりて自殺とは一種神聖不可侵のものにして乃ち榮譽なり。俗に武士は食はねど高楊枝といへるがごとく、體面を守ることのみを重んじて家名のため一命を軽んずるは忠義なり。

 自殺的武士,也因而能得到「主人」的關照,保障其家人的生活。

 たとひ身はどこぞの野邉に朽ちぬとも己が眷屬の以前に変はる所なく御主君の有り難き御恩を被れれば家名は存續できるものと思へばこそなり。

 而較之武士,農民則更多的具備一種集體意識,將自己獨立視為一個單獨群體,因利益等原因緊緊的將彼此連系在一起。

 此れに比して百姓身分は村社會にて生きる沒個性の愚民に過ぎざれば、小利のため人の顏色を窺ふや須臾の休む間とて無く、賤業に糊口をしのぐ痴愚遊惰の小民なり。

 明治維新時,國家乃至天皇利用某種手段唆使(或可說欺詐)將農民們組織成軍隊,並灌輸所謂的武士信仰將其塑造成一支特殊的,有違常理的軍隊。但,這與傳統的武士而言,卻仍是不一樣的——武士並非集體,更在乎的乃是自我的名聲。

 維新の後、天皇制國家はかかる水飮み百姓の集團に武士道の「戰陣訓」を叩き込み、史上に前例のなき異樣なる軍隊を創設せり。然るに上邊は武士道を尊ぶが如きも實は百姓からなる烏合の衆に過ぎず。昔日の武士とは異なりて己の名譽など毫も顧みず、ただ他人の顏色だけを窺ふ俄仕込みの半農半兵集團なりき。誠に頼母しき國民軍なりとはいふべし。

 而這種畸形的文化在二戰後仍舊延續在日本,因而以至於日本人的自殺比率高過其餘人種,所以在我看來,日本非但是沒有前途,甚至可謂自取滅亡。

 かかる畸形的なる文化風土は敗戰後も色濃く日本人の思考樣式に影を落としたれば、現今の日本において死亡者中の自殺率は諸外國に群を拔いて高かるも故なきには非ず。嗚呼已に日本帝國に昔日の威光無く、暫しの殘光に照らされ廢滅に向ひて黃昏の峠道をひたすら轉落するのみ。

 在日本社會,往往大公司招聘,都會直接從學校大三新生中展開選拔,爾後進入公司,便以一種傳銷式的洗腦進行教育,讓他們效忠公司——如果公司垮了,他們唯一的下場便是「殉葬」。

 扨日本企業にては世界の常識より之を観ずるに一種奇怪なる習俗の連綿として存在せり。殊に大企業に入社せんと欲するや內定と稱して必ず大學三年生の時分に先方より內諾を得るを要す。かくも徹底的に青田刈りしてかき集めし所の新成人には會社のご恩、社長樣のお大切、ご奉公の有り難さを叩き込み、妻子や近親をも顧みず、一旦緩急あらば會社と一蓮托生も辭せず御奉公に殉ずる忠良なる企業戰士を養成するものなり。

 因這套「理論」,以至於「上了年紀」的日本人根本無法尋找到理想的工作,甚至連生存都成了難題,導致他們大多選擇出國前往海外尋求生路,因而日本出現了大量的人才流失。

 而してやむにやまれぬ事情にて世間の常道より外れたる青年には某政治家の所謂「再活躍」の希望は缺片とて無く、漸く老いゆく己自身の前途が眼前にて閉ざされんとすをただ座視するに他由なし。當今の日本はかかる淺ましき有樣なれば、青年中少しでも意氣地のある者は一旦奮起するや狹く小さきこの島國を捨て去って顧みず、常に海外に活路を見出さんとす。かくて日本國の人材流出の趨勢はその止むる所を知らず。

 雖在安培經濟學的刺激下,情況略有好轉,但在我看來,亦不過是飲鴆止渴,毫無用處。

 アベノミクスなる大本營發表によれば景氣は內閣の御政道によりて些か好轉したる由なれど、かかる全面的の頽勢はたかが一總理大臣の力では如何とも挽回し難く、局所的の好景氣などは所詮燒け石に如雨露で水をかけるが如し。

  另,日本右翼的一些極端理論與思想我亦是十分反對的,他們的做法對於日本而言是一種致命的摧殘。在一些右翼的極端,甚至生理心理病態人士的鼓吹下,要求日本與中國、韓國等國家斷絕經濟貿易往來。而這些,在現代化的社會中是不可能的。

 且つ日本國に右翼と稱して國法を輕んじ情の激する所濫りに事端を滋くする不逞の輩あり。その言辭は狂壯にして極端なる愛國精神を鼓吹し、ややもすれば妄言を逞しうして「支那及び南北朝鮮との斷交」を呼號するも現實中において之を實行に移すに具體的なる成算は毫も之無し。

 國家之間的利益保證,在二十一世紀依仗的正是彼此之間的經濟貿易——除非有人能出面力挽狂瀾,否則日本終將走向滅亡。

 夫れ當今諸國家間の角逐は干戈以て戰場に爭ふに非ず、必ず貿易において之を世界に競ふ。野の遺賢餘さず世に現はれ身命を惜しまず盡力するに非ずしては、敗亡の勢は終ひに挽回すべからず。然るに國中に人あらば皆生國を捨て外國に奔るが如き樣にては何ぞ能くその後を善くせんや。

 但,日本人的又一劣根性則在於對事情的逃避。前段時間,我在一個臉書平台的台灣群內發布一個商業化的帖子,因我使用簡體(台灣人乃至日本人一貫使用繁體字)而遭到一群小日本,或說日本鬼子的攻擊。

 然りといへども、日本人のかかる愚劣なる性癖は時として亦かかる逃避の形をとりて現出すべし。吾人は先に生業の資を増やさんとてFacebookなる臺灣人の交流グループを巡迴し、いくらか廣告を出したるが、吾人が用ゐし所の中國語は簡體字を以て表記しあれば、劣惡なる一群の小人どもは此奴は支那の走狗なるべしとて群れをなして吾人に侮辱の言を投げつけたり。

 他們因得知我曾在中國留學一年多,故以各種言辭將我抹黑為「非國民」(ひこくみん)——甚至在我退群後他們的叫罵仍舊不絕。但這並不是他們有多愛國,或將我視為日奸,而是因為日本網路的自由性,導致他們一個個可以化身為躲避在電腦後面不見天日的妖魔。

 彼輩吾人の曾て中國大陸に學びたるを窺ひ知るや、各種の口實を籍りて吾人の非を論ひ、吾人を誣ふるに非國民と爲し、烏合の衆を糾合して卑劣なる暴言を吐き、つひに吾人の去りし後もなほ數々の惡口雜言を以て電腦空間の一角を己の排泄物にて埋めたり。沙汰の限りなり。蓋し彼輩はけして眞の愛國者に之非ず、また十分の根據を以て吾人を賣國奴と見なせるにもあらじ。ただ日本國のインターネットにては之を取り締まるべき官衙とて無く、魑魅魍魎の跋扈せる異空間なれば、かかる淺ましき有樣も現出したるべし。

  在現實社會中,日本人是害怕被排斥的,以至於他們壓抑的活著。但到了網路,便會撕下自己道德僞裝的醜惡嘴臉,露出本來的猙獰面目。

 夫れ日本國に在りては村八分、寄合追放等の惡習上古より綿々として傳來し、この糞土にて生存するは全然容易ならざれば、普段憎き相手にものも言えざる怯懦の輩もネット空間にて恣に己の恥部を人前に曬し、且つ自ら正論の高士を以て任じて恬として恥ずる無し。當今日本國にてかかる汚穢の小人の多きこと言ふ甲斐無く、擧げて數ふべからず。

 我雖是日本人,但並不大喜歡這個民族——相較而言,我更喜歡中國人的寬容與博愛,他們沒有日本人的冷漠與自私(雖然中日都存在一些不理智的人士,亦存在一些中國人所稱的三八,但中國人較日本人而言仍舊顯得直接)。

 吾人その出生地によりて之を歸屬すれば日本國の版圖に含まれるが如きも、實はこの民族を甚だしくは好まず。以爲らく、唐土の風は仁慈博愛にして人情は純朴、日本人が如き陰險猾惡なる奸佞の輩は一部分の無頼を除けば略無之と。唐土の士は直截にして日本人が如く面從腹背の陰險なる氣質は餘程少し。

 記得有次我參加日本一個「宗教式的洗禮」,因一些緣由遭到了一群同胞近乎拷問的逼迫,在壓抑的情緒下,我最終選擇了逃離。當然,與我相同,無數我的同胞在面對日本的壓力下都選擇了逃離——那並不像是一個現代化的城市,更像是一個原始的森林,充斥著隨時可能斃命的危機。

 眞に日本國は薄暗き密林にも似たる邪教徒の巣窟なり。一群の汚穢、日本語が如き音聲を發して同胞を稱し、隙ありと見れば背面より我に斬りつけんとするが如し。裏切りと責苦と苛めとは大日本教の崇拜するご本尊樣なり。かの醜惡なる邪神の呪縛を逃れんとてこの妖魔の猖獗を極むる薄暗き密林より逃れゆかんとす日本人は今や決して少なしとは爲さず。

 但,作為日本人,我仍舊希望能夠為中日友好貢獻一份微薄力量,也許這是十分之困難的,可我仍舊不願意放棄,也希望能讓更多的中國友人喜歡上日本文化,並多來日本旅遊,進行一些實質性的觀察。

 然れども、吾人はこの國に生を享けたる者として日中の友好の爲に僅かばかりの功を致さんと欲す。前途は險しかれども、全く希望無きには非ず。冀はくば唐土より多く有爲の士我に來たりて日邊に青雲の志を遂げ給はんことを。


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