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劍道頭巾或者衣服上繡的「不失花」的出處是哪裡?


不失花是奠定了日本能樂基礎的「世阿彌」,在公元1400年他38歲時確立的「明年練習條款」中提出的。

最概括的意思是,外表的美麗是短暫的,用外貌來吸引人氣,只是暫時的。真正不會失去的美麗是你的技藝,技藝會隨著磨練越來越美麗,這種美麗是不會失去的——直到你嗝屁了為止。

看到日本8段老師來教學,就真正感受到了不失花的魅力。白髮蒼蒼,技藝精湛無比,從內到外都散發著威嚴,自信,平靜。


瀉藥,只知道不失花的含義是永不凋零的花,出處還真不清楚,坐等高手。

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不失花(うせざるはな)

剣道範士?居合道範士 羽賀忠利

不失花は、日本の能楽の土台を確立した「世阿彌」が、応永7年(紀元1400年)38歳の時に確立させた「年來稽古條々」に出てくる。

 この中で世阿彌が強調したことは、能楽者は生涯に亘って花の一枝を持っていなくてはならない。

 「花は命」であって、何時までも「失せざる花」を身につけてほしい。その為には一にも稽古、二にも稽古で、然も稽古は強く自分勝手は許さないこと。稽古第一主義を説いている。

 若い頃人気を博して喜ぶが、それは真の花ではなく、若さ故の一時の花に過ぎないもの。一時の花に酔って稽古を怠ると、やがて散ってしまう。何時までも失せない花を維持するには、激しい稽古に加えて、人間的な內面?精神的な修練を加えて行かなくてはならない。老骨になお花を有することこそが、不失花である。心して欲しいものである。

 剣道でも全く同様であることを申し添えて置くことと致します。不失花を求めよと申しましたが、真の失せざる花を知ろうと思うならば、先ずその花の種を知らなければならない。

 「花は心、種は技」という事で、芸の奧義を求める心懸けが花を咲かせる種である。という事を知って欲しい。花は心の工夫の問題で、その花を咲かせる元の種は芸の実力であることを理解できたと思います。

 この「花は心、種は技」ということを心に銘じて、更に心を引き締めて、より深い思念?工夫による心の修養の上、より高度な稽古精進に勵み、心身脫落の域に進まれることを願う次第です。

註)「不失花」は、安永宗司?勝也ご兄弟の、剣道八段昇段祝賀會に配られた手拭いに書かれたものである。


人要不斷修鍊自己的內心,通過修鍊技巧來提高自己的內心,要不斷練習保證你的花不凋零,不要因為年輕的時候達到了高峰,開了花就怠慢了修鍊,否則很快就會凋零。

樓上前輩回答的不靠譜翻譯→_→大概就是這個意思吧,請教了社長大人才來回答的捂臉跑


「不失花」我們可以忍受冬天的嚴寒,也可以經受夏天的酷暑,因為我們心中有正確的追求和執著的信仰。冬天,可以剛毅我們的品格,夏天,可以迸發我們的熱血。我們崇拜偉大,也尊重渺小,我們願像海涅一樣一次又一次襲卷沙岸,我們也願像蜻蜓一樣靜靜地停在那蘆葦上。作為一名劍士,心中一定要持有一朵花,一朵不失花,盛夏之花,也是雪岳之花,不要等花凋零了,才去感嘆花的美,那沒有任何意義。


うせざるはな,即うしわないはな


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