(日漢對照)兩頁日軍核研究資料

如有錯誤請勞煩指出,不盡感謝

。。。大へんよくなった。

アンモニア合成につかう鉄の觸媒の研究は信太啓二君がやった。よい觸媒ができ、現場の努力と相まって、一日八トンの設備で二十トンぐらいできるようになった。ハンスギルグが寶石をつくってはどうかとアドバイスしてくれた。水素と酸素でアルミナの粉をもやしてつくるのだが、田村亀太郎君にたんとうしてもらった。戦爭の末期にはペアリング用にどんどんでた。年に一千萬カラットつくった。サファイヤ―はうまくいったが、クロームを入れてつくるルビーはあまりうまくいかなかった。鹿児島県の加世田に寶石の磨き屋があり、野口さんの命で上野次郎男君の長兄の上野喜左衛門さんの紹介で訪ねたことがあるが、先年屋久島に行ったとき、鹿児島県庁でそこを見るといわれて行ったところ、もう三十年にもなるのにまだ私を覚えていてくれた。

。。。變得很好了。

氨(水)合成中所用的鐵的觸媒研究是信太啟二郎做的。有了好的觸媒,加上工場的努力,一天八噸的設備大約可以產出二十噸了。Hans Gilg曾對如何制寶石向我提出了建議。在氫氣和氧氣下燃燒氧化鋁而製得,這項工作交給田村龜太郎君了。戰爭末期的時候,不斷地造了給配對用了。一年造了一千萬克拉。藍寶石雖然很多,加入鍍層而製成的紅寶石就不怎麼多了。鹿兒島縣的加世田有個寶石磨坊,奉野口先生之命,加上上野次郎男君的長兄,上野喜左衛門先生的介紹,我曾拜訪過那裡。去年我去屋久島的時候,鹿兒島縣廳跟我說要去那兒看看,我這才想起來上一次已經是三十年前的事情了。

重水もハンスギルグが持ちこんできた。スエ―デンのノルスクヒドロでも重水をつくっていたが、戦爭中ドイツに原爆をつくらせるなと、連合軍の爆撃でやられた。ハンスギルグの話の當時は、まだ原爆はおろかその用途も考えられず、一つの學問的興味のもので、ドイツで一cc十円といっていた。普通の水に五千分の一あるが、水の電解工場では普通の水の方は酸素と水素に分解されていくので、重水は濃縮されていく。興南でやってはというハンスギルグの話だったが、遊びはやめた方がよいとやめたが、その後京大の仁科さんに相談したところ、重水はぜひ要るというので、延岡の久保田正雄君にたのんで、延岡の水素工場の一系列つぶしてやってもらった。

重水也是Hans Gilg帶進來的。瑞典的Norsk Hydro公司當時也在製造重水,但為了不讓德國在戰爭中能使用原子彈,聯軍將其擊爆了。Hans Gilg說當時別說是原子彈了,就是別的用途也沒怎麼考慮,全都是一種學問上的興趣,才用德國一立方厘米十日元的錢買了水。普通的水裡重水只有五千分之一,但水電解工場通過把普通的水分解為氫和氧,重水就被濃縮了。興南(朝鮮Heung Nam)那邊的工程,按Hans Gilg的話來說,還是禁游的好,所以那裡就禁遊了。之後他和京都大學的仁科先生會談的時候,說起了重水肯定是必要的,所以由延岡的久保田正雄君負責,請他把一系列延岡的氫工場關閉了(騰出空間造重水)。

六、硫黃、塩安、酸素の利用

六、硫磺、 氯化銨和氧的使用

昭和八年ごろだったと思うが、野口さんから蒸気で硫黃をとる方法があるそうだが研究してみてくれという話があり、中西政之助君に試験させた。硫黃の鉱石が六〇%のものなら採算がとれるので、設計して草津硫黃の工場をつくったが、當方のいう六〇%を無視し低品位のものを選鉱しないでそのまま使うので、歩どまりが悪かった。笹田直二郎さんがやった。

我想大概是昭和八年的時候,從野口先生那裡聽說有那麼一種在蒸汽下製取硫磺的方法,希望誰能試著研究一下,中西政之助君就試驗了這種方法。礦石中硫磺的含量有60%,足以划算,於是就計劃在草津硫磺工場製造,但是因為罔顧我們所說的60%,製造時不選低品位的礦石的緣故,產出率低。笹田直二郎做了這件事。

興南では食塩の電解で苛性ソーダをつくっていたが、食塩から炭酸ソーダをつくり、塩素分は塩安にするツアーン法はどうだと、野口さんから相談があった。私は炭酸ソーダは旭味の中和にも必要だし、塩安は肥料に使える。水田には硫安がすぐれ、また畑でも塩素分をやると莖がかたくなる植物には困るが、その他ものによっては肥料として充分使えるはずだから、ぜひやった方がよいでしょうと返事した。そうしてツアーン法を買ったが、工場はどうも言っているようにはいかず、広橋憲亮君が大へん苦労した。やがて製造できるようになり、塩安が肥料として売れるようになった。後年広橋君が宇部曹達に行ったのも、これらの技術も倂せてかわれたものと思う。前に石炭からアンモニア合成用のガスをとるとき酸素を吹きこむことをのべたが、興南では酸素をたくさんもっていたので方々に使った。工藤式硫酸製造法は、硫黃をもやすのに酸素をつかったが、硫酸裝置が小さくてすんだ。しかし発熱の処理で苦労されたが、今日では海外でも行われている。

興南那邊通過電解食鹽,正造著氫氧化鈉。我與野口先生曾討論過,從食鹽製取碳酸鈉,把氯變成氯化銨的Tuaan方法怎麼樣。我覺得碳酸鈉對於調料的中和也是必要的,氯化銨又可以用於肥料。水田裡硫酸銨很有效,就算是在乾田里植物因為莖太硬而無法吸收鹽分,在其他方面也足以作為肥料來使用,所以我說請務必採用這種方法。於是採取了Tuaan方法,工場里如何自然不用多說,廣橋憲亮君是立了大功勞。很快到了能製造的地步,氯化銨就能當成肥料來賣了。一年後廣橋君去宇部曹達工場,我想也改成了這些技術。前面說過從石炭製取用於氯合成的氣體的時候,是把氧氣吹入的,因為從興南那裡得到了很多氧氣,就用在了方方面面。工藤式硫酸製造法,是為了燃燒硫磺而使用氧氣,硫酸裝置以小為宜。雖然發熱的處理很費事,現在在海外也通行這種方法。
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