日韓是否存在競技性質辯論活動,如果有是什麼樣的存在?

如題。好奇在日韓是否存在這樣的活動,形式呀賽制什麼的又是什麼樣的呢?

指本土的辯論活動,並非指在日韓高校留學生中開展的華語辯論...


韓國不清楚,日本早就有了,日本和台灣的辯論形式應該都是美國帶過去的,偏政策性辯論。

貼段資料,要感謝大神 @黃雁捷Anton的翻譯。

1997年日本第三屆JDA辯論賽決賽——日本應該廢止死刑(部分辯詞)

肯定方:JICA辯論研究會(植島卓巳、加藤宏)

否定方:山形大學(武田裕美、加藤奈緒)

辯詞源地址:http://old.japan-debate-association.org/script/script97.htm

肯定方第一立論:植島 卓巳

那麼就由我方開始立論了。

我們作為肯定方,主張日本應該對死刑進行廢止。

一開始,作為方案,我方提出應該對現行日本刑法、以及其他法定上認可死刑的法律進行改正,將死刑從刑罰體系中除去。如果能採用本方案,不僅是死刑制度的存在,還能夠將以下3個問題一併解決。同時,不僅如此,還能夠帶來3點附加的好處,這一部分將在稍後補充陳述。

首先,先來看一下這3個現存的問題。

問題1:對道德法則的悖反。

死刑最基本的問題,是倫理上的問題。也就是說,死刑制度本身,違背了殺人即是絕對的惡行這一道德法則。同時,對殘忍的刑罰加以禁止已經是現今人類的普遍規範,對於這個問題具體體現在兩個方面。

問題1的第1方面:在殺人是絕對的惡行這一基礎上,由國家機器來進行殺人,是絕對不能允許的。前最高法官團藤先生(譯註:團藤重光,被稱為戰後日本刑事法學第一人、少年法改定與死刑廢止運動的代表人物)曾經在1994年的著作《死刑廢止論第4版》中,做出了以下陳述:

「犯罪的事實代表著不合理的世界、不正當的世界。因此對犯罪施以刑法的規範就必須代表著合理地世界、正當的世界才行。既然犯人殺死被害者是屬於不合理的世界的,那麼同樣等級的由國家進行死刑判決來殺死犯人,就一樣不應該被允許。」

我方對於今天的辯題,抱有跟團藤教授同樣的見解。另外,這不僅僅是道德觀念的問題。國家機器以死刑來殺人本身,在現實上還會帶來諸如誘發更多殺人等其他現實問題。這一點在問題2中再詳細闡述。

問題1的第2方面:死刑,不管是在肉體上還是精神上看都屬於殘酷刑罰的範疇。

死刑的現場——在這裡我方儘可能迴避做具體的詳細描寫——可以說是極端地殘忍以至於令人無法正式。而且有說法指出,從行刑開始到完全死亡有時需要經過10分鐘以上的時間。(譯註:在1997年的日本,死刑執行方式都是絞刑)另外,不管採用什麼方式執行死刑,隨著處刑時間一天一天地接近,這一段時間施加給人的精神壓力同樣也是一種極端的痛苦,這與肉體上的殘害同樣屬於非人道的行為。

以上倫理層面的理由,簡而言之,就是死刑的本質作為國家機器的殺人,是極為殘忍的行為,因此我方認為我們不應該允許它的存在。

接下來來闡述第二個重大的問題。

問題2:死刑對於犯罪的抑止,其實是有害無益的。

死刑存在的第二個問題,是死刑作為刑罰的一種,其本身是有害無益的。要而言之就是其缺乏目的和理性。同時還有另外2個輔助論點也一併闡述。

問題2的第1方面:死刑沒有對犯罪的抑止力。

迄今為止,想要在統計上證明死刑對犯罪的抑止力的嘗試數不勝數,但是連一個成功證明的都沒有。加州大學的阿切爾教授,在其1984年的著作——《暴力與殺人的國際比較》(譯註:Violence and Crime in Cross-national Perspective,作者Archer Dane,耶魯大學出版社)中,對國際性的死刑廢止前後殺人率變化進行了研究。在以110個國家與44個主要城市的犯罪與暴力事件的模式,以及1900~1970年的數據分析為基礎,得出了以下結論:

「目前所知範圍內的證據,無不顯示死刑的抑止效果是完全不存在的。而且確實,如果沒有足夠強大的抑止效果的存在的證據,死刑制度的正當化也無從談起。」

因此,就算考慮到死刑真的對犯罪有抑止力的情況,單純地去詢問犯罪抑止到底存在還是不存在也並不妥當。我們真正應該問的,是這種抑止力是否足夠強大、強大到足以讓我們維持死刑這種不人道的刑罰。如果要反對死刑廢止的話,對方作為廢止反對論者,應該先對這一點有論證義務。然後我們再轉移到下一個問題。

問題2的第2方面:死刑不僅無法抑止犯罪,同時還有可能誘發新的犯罪。

明治大學法學部教授菊田幸一先生,在其著書《現在,為何要廢止死刑》中提到,存在著擁有自殺想法的人,為了被判處死刑而殺人的案例。這也是之前提到的,死刑的存在會誘發新的犯罪的理由。

另外,犯人出於對死刑的絕對恐懼,為了防止自己的犯行被發現而進行第二、第三殺人的行為也屢有發生。明大的菊田教授在同書中也提到,手槍連續射殺事件的永山則夫(譯註:1968年,從美軍基地偷出手槍為了報復社會先後射殺4人,其中兩人是的士司機,最後被判死刑。也正 是在本案中,留下了著名的「永山基準」。)就供認過自己有這樣的想法。

同時,正如立論開始時提到的,國家殺人這一行為本身就打破了道德法則。如果默許這一行為本身,在現實中就有可能誘發更多的殺人。一名叫蘭道爾的研究者在1980年證實了這一點。而這個結論也被記載在之前介紹過的加州大學的阿切爾教授的書中,原文如下:

「蘭道爾對短期間內的模式進行了驗證,發現在死刑執行特別多的時期後,就會有一段殺人率增加的時期。」

問題2的第3方面:死刑斷絕了犯罪者補償自己罪過的機會。

死刑的執行會剝奪犯罪者本人對自己罪行進行補償的機會。而這與重視「教育」、「回歸社會」的現代刑事司法的精神無法相容。

以上3點理由,簡而言之,就是死刑不僅對舊有犯罪沒有抑止力,同時還會誘發新的犯罪。並且剝奪犯罪者補償罪行的機會。因此死刑作為刑罰的一種,缺乏本身的目的和理性,因此我方認為死刑是有害無益的。

下面來討論第3個大問題。

問題3:死刑作為刑罰存在著根本性的缺陷。

問題3的第1方面:出現因為誤判而處刑的情況時,無法彌補判刑的錯誤。

既然審判不是由神,而是由人類所做的事情,那麼不管再怎麼小心謹慎地申議,也不能說絕對不會出現誤判的可能。另一方面,因為自身的錯誤而殺人也可以說是莫大的不正義。退一步說,就算完全沒有誤判的可能性,也會存在下面這個問題。

問題3的第2方面:死刑的運用過於主觀,是一種不平等的刑罰。

明大的菊田教授在《現在,為何要廢止死刑》一書中,提到了下列事實:

「原法官·三井明,曾根據自己的經驗指出:『這樣的事情這個法官會判處死刑,但是其他法官的話估計就不會判死吧』並且就這樣的死刑判決標準存在著很大分歧的事實作出報告。」

死刑與無期徒刑之間,存在著到底是能繼續活著還是要被殺死這樣的巨大的差別。但是儘管如此,在實際差距如此之大的兩種量刑之間,卻並無明確的界線,只能依賴被告律師的能力與法官的心證來判決。這實在是過於不合理的事情。

以上2點理由,要而言之,就是死刑,在發生誤判的情況下無法挽回、同時與無期徒刑之間的恣意運用無法避免。因此我方認為死刑作為一種刑罰,在危險性、不平等性兩方面都存在著根本性的缺乏。

接下來,對如果採用我方提出的方案,所能帶來的優點進行簡要整理。

第一、先前所述3大問題全部都可以得到解決。

第二、在此之外還可以獲得下列追加的額外收益。

追加收益1:死刑廢止以後,負責死刑執行的刑務官們,可以從這一非人道的工作中解放出來。

追加收益2:同時,死刑廢止以後,可以防止因為死刑執行造成的,死刑犯的親屬、友人,他們的悲痛這種二次傷害的產生。

追加收益3:更進一步地,死刑廢止以後,刑事司法制度所負擔的巨大成本也可以得到輕量化。每一次死刑事件的出現,都會因為要對審議慎之又慎而造成龐大的勞力、時間的消耗,這一點是無法改變的事實。而由此造成的,是大多數審判的效率與準確度都受到影響。這一點我們不能忽視,它也是死刑制度所帶來的一大問題,而這一現狀也可以由廢止死刑而得到大幅度的改善。

綜上,我方認為:日本應該廢止死刑。

原文:

肯定側第一立論:植嶋卓巳 JICAディベート研究會

それでは始めさせていただきます。

我々肯定側は、日本國は死刑を廃止すべきであると主張します。

まず、プランとして、我々は、現行日本國の刑法およびその他、死刑を法定している法律を改正し、死刑を刑罰體系から除去することを提案します。このプランを採用することにより、死刑制度の存在にともなう、次のような3つの間題を解決することができ、かつ、さらに、後ほど述べるように、付加的な三つのメリットを得ることができます。

まず、3つの問題點から見ていきます。

間題1:道徳律に反する。

第一は、倫理的な間題です。すなわち、死刑制度は、殺人を絶対的な悪とする道徳律に反し、かつ、殘虐な刑罰を禁じた人類の普遍的規範にもとるものです。この問題には2つの側面があります。

間題1の1:殺人が絶対的な悪である以上、國家が殺人を犯すことは、許されません。もと最高裁判事の団藤氏は、1994年の著作「死刑廃止論第4版」において、次のように述べています。

(引用開始)「犯罪の事実面は不合埋の世界、不正の世界ですが、刑罰を科するという規範面は、合埋性の世界、正の世界でなくてはなりません。不正に対するに正をもってするのが刑罰でなければなりません。犯人が被害者を殺すのは不合理の世界であって、これと同じレベルで國が死刑によって犯人を殺すことを考えることは許されません。」(引用終わり)

我々は、この団藤教授の見解と意見を共有いたします。また、これは単なる観念論ではなく、國家が殺人を犯すということにより、現実に殺人を誘発するという現実の間題を引き起こしています。この點については、後に、問題の2を紹介するところで觸れます。次の問題にうつります。

間題1の2:死刑は、肉體的にも精神的にも殘虐な刑罰であります。

死刑の現場は、ここで具體的に描寫するこことはあえて避けますが、極めて慘たらしく正視に耐えないものであり、しかも完全に絶命するまで10分以上もかかると言われています。死刑因の遣體を、國が遺族に見せたがらないといわれるのもむべなるかなと思われます。また、いかなる殺し方をするにせよ、処刑に至るまでの間の精神的苦痛は極限的なものであり、極めて非人道的であります。

以上の倫理的な理由、すなわち、死刑は國家による殺人であり、かつ極めて殘虐な行為であることから、その存在はもはや許すべきでないと我々は主張します。

次の大きな論點に移ります。

問題2:犯罪抑止のために、有害無益である。

間題の第二は、死刑が、刑罰として、有害無益であるということです。要するに目的合理性がないということです。これには更に2つのサブの論點が存在します。

問題2の1:死刑には犯罪抑止力はない

これまで、死刑の犯罪抑止力を統計的に証明しようとする試みが多數なされてきていますが、いずれも証明するにいたっていません。カリフォルニア大學のアーチャー教授ほかは、1984年の著作「暴力と殺人の國際比較」(目本評論社、原著1984年)において、死刑廃止前後の殺人率の変化を國際的に比較する研究を行い、110の國々と44の主要都市における犯罪と暴力のパターンを1900~1970年までにわたるデータ集に基づき分析を行いました。その結論として、次のように述べています。

(引用開始)「用いられる限りの証拠では、抑止効果はまったく存在しないということが示唆されている。そしてたしかに、死刑制度を正當化するような、その強さからも規模からも十分なものを示すほどの抑止効果は存在しないのだ。」(引用終わり)

なお、死刑の犯罪抑止力を考える場合、単純に、犯罪抑止力があるかないかだけを間う問い方は妥當ではありません。そうではなくて、死刑によらなければ、実現しえない程の抑止力があるのかということが本當に検討されるべき間題であり、もし死刑廃止に反対するのであれば、廃止反対論者は、その點を論証する義務があります。次の問題に移ります。

間題2の2:死刑は、犯罪を抑止しないばかりか、犯罪を誘発することがある。

明治大學法學部教授の菊田幸一氏は、その著書「いま、なぜ死刑廃止か」の中で、自殺を願望するものが人を殺すことによって死刑を願望するということがあり、死刑の存在が犯罪を誘発することがあると述べています。

また、死刑をおそれる余り、犯行の発覚を防ごうと第二第三の殺人をおかすこともあります。明大の菊田教授の同じ本によれば、ピストル連続射殺事件の永山則夫も、そのように述懐しているとのことです。

また、冒頭、國家が殺人を犯すことは道徳律を自ら破り、それをおとしめる行為だと述べましたが、これにより現実に、殺人が誘発されているということは、ラントールという人の、研究者の1980年における研究によって、実証されています。すなわち、先程紹介したカリフォルニア大學アーチャー教授の署書において、次のように紹介されています。

(引用開始)「ラントールは、また短期間におけるパターンを検証し、死刑執行が著しく多く行われた時期に続いて殺人率の増加が生じることを見いだしている。」(引用終わり)

間題2の3:死刑は、犯罪者に罪を償う機會を與えない。

死刑は、本人に罪を償う機會を與えないものであり、報復よりも教育と社會復帰を重視する現代の刑事司法制度の精神と相容れません。

以上3つの理由、すなわち、死刑には抑止力がないばかか犯罪すら誘発する効果があり、犯罪者から罪を償う機會すら奪うという意味で、死刑は刑罰として、目的合理性を欠き、有害無益であると主張します。

3番目の大きな間題に移ります。

間題3:死刑には刑罰として根本的欠陥がある。

間題3の1:誤判により処刑された場合、取り返しが付かない。

裁判を神ならぬ人間がおこなう以上、いかに注意深く審議したとしても、あやまちを絶無にすることは不可能でありますが、他方、間違いにより人を殺すことほど大きな不正義はありません。よしんば全く誤判の可能性がないとしても、次の問題が存在します。

間題3の2:死刑の運用は恣意的たらざるを得ず、不平等な刑罰である。

明大の菊田教授は、「いま、なぜ死刑廃止か」という著書において、次のとおり述べています。

(引用開始)「三井明?元裁判宮は、自らの経験として、『これはこの裁判官がやったから死刑になったが、他の裁判官がやったら死刑にならなかったのではないか』という死刑判決基準のばらつきがあったことを報告している。」(引用終わり)

死刑と無期懲役の間には、生きることを認められるか、殺されるかという実に大きな差があります。にもかかわらず、そのような大きな差のある二つの量刑をわかつ、明確な境界線がなく、被告の弁護士の能力や裁判宮の心証次第で量刑が決まるというのは、実に不合理といわざるを得ません。

以上の2つの埋由、すなわち、誤判が生じた場合取り返しがつかない刑罰であること、また無期懲役刑との間で恣意的な運用が不可避であるということから、刑罰として危険性、不平等性といった根本的欠陥があると主張します。

次に、我々のプランを採択することにより得られるメリットを整理します。

第一に、上に述べた…先に述べた三つの大きな問題がすべて解決されます。

第二に、それ以外に次のような追加的なメリットが得られます。

追加メリット1:死刑の廃止により、死刑を執行するという、非人問的この上ない仕事から刑務官を解放することができます。

追加メリット2:また、死刑の廃止により、死刑の執行によって発生する、死刑因の家族、友人の悲しみという新たな悲しみの発生を防ぐことができます。

追加メリット3:更に、死刑の廃止により、刑事司法制度が負擔している膨大なコストを軽滅することができます。ひとたび死刑事件が提起されるや、その審議に慎重を期せんがために、膨大な労力と時間とコストがかけられているのが実情であり、それによって、裁判全體の迅連性と確実性が失われています。これは、見逃されがちではありますが、死刑制度によってもたらされている一つの大きな問題であり、これも、死刑廃止によって除去することができます。


推薦閱讀:

90年代辯論最火爆的時候是什麼樣子?
請教一下,什麼是受身打法?以及這種打法強在哪裡?
台灣辯壇的元老高手都有哪些?
05順爽方言辯,正方從何時佔優的?
學習奧瑞岡賽制,求視頻以及乾貨推薦 (?′3`?) ?

TAG:日本 | 韓國 | 辯論 | 辯論賽 | 留學日本 |