「京阪神」三個字的日語讀音為何與「京都、大阪、神戶」中相應漢字的讀音不一致?
東京都市圈有一條很著名的JR鐵道 : 京濱東北線 (kei hin tōhoku sen),鏈接東京市區和神奈川縣縣廳橫濱。其中的"京"和"濱"是不是都不是在城市本名中的念法?
日本還有一個類似"北上廣深"的X線城市規劃概念,叫"札仙廣福" (sassenkōfuku),代表了由北向南四個產業發達的"准一線城市",其中 廣島的"廣"也沒有按照原來的固有讀音。
總體來看,這樣的例子其實也是枚不勝舉。日本的地域名提出其中一個漢字合起來讀都會有「趨向音讀而非訓讀」的普遍現象。
默默感覺和閩南語「廈門大學」用白讀而「廈大」用文讀差不多道理…
現在在東京...
京王線和琦京線的京字也是兩套 けい きょう
似乎日本吳漢本來就比較混亂用哪個好像就隨意的樣子...
不過 京王線開業要比琦京早太多了
google搜到這麼一個page是說這個事的
1 明治維新當初、東京の「京」が「亰」と記載された時期を知りたい。2 東京都美術館の入り口看板は「京... | レファレンス協同データベース
明治維新當初、東京の「京」が「亰」と記載された時期に関する資料としては、資料1の「「東亰(とうけい)」から「東京」へ」の項の執筆者である小木新造氏の著作(資料2、3)がある。
資料1のp.13-14「「東亰(とうけい)」から「東京」へ」の項では、「…漢字も「京」の原字である「亰」をもちい「東亰」としたのである。それがいつしか東亰(とうけい)、東京(とうきょう)、東亰(とうけい)、東京(とうきょう)と混同して使われ、地名としての江戸もしだいにきえさり、東京(とうきょう)に統一されるようになった。…」とある。
資料2は、明治初年から明治22年前後までの舊東京十五區內の庶民生活についての研究資料である。この本では「東亰(とうけい)」を使っている。資料2のp.2に、「「東亰(とうけい)」という呼稱がなされた背景に、前時代を否定し伝統文化を切り捨てようとする明治國家の強引な近代主義を批判しようとした舊幕臣系の人びとの反権力意識と、文明開化の時流にとり殘されながらそれに抗する江戸根生いの庶民の様々な生活を見出すことができるからである。」とある。また、資料2のp.620では、「東亰」の読みについて、『新字源』や『大漢和辭典』を參照しながら、「「京」の中に一本、棒を入れた場合の「東亰」に関しては「とうけい」とのみ呼稱するのが正しいことになる。」としている。資料3のp.23には、「自今江戸ヲ稱シテ東京トセン」とする慶応四(1868)年七月詔書の部分が直訳的に解釈され、それがいつしか地名変更と受け取られ「東京」となったと思われる、という旨の記載がある。ただし、具體的にいつまで「亰」の字が使われていたかは不明である。なお、「トウキョウ」と「トウケイ」の読みについては、資料4のp.112-122「第九章 東京異聞-江戸と東京のはざまで」が參考になる。これは、東京都公文書館のホームページ內にある『明治東京異聞~トウケイかトウキョウか~東京の読み方』( http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0715tokei.htm 最終アクセス日:2015.3.10)で見ることができる。
還有
似乎 早期中間插一橫的京字是有區別兩個讀音的傾向的產物
MuhHiun 的答案有點偏了,題主不單是在問京的區別,所以另一位匿名用戶的答案比較符合,就是縮略用漢音
比如早稲田大學理工學部旁邊一個電車站一個公交站分別叫【西早稲田(わせだ)】和【早大(そうだい)理工】
我想說的其實わせだだいがく的縮略是そうだい,這兩個早的發音也不同
其實就是原來的多字和語/漢語詞取一個字跟別的詞連的時候,有時有些和語訓讀並非字與音一一對應,有時音讀又存在3種或更少的讀法,縮略時又有和漢混用的可能性,為了避免不必要的麻煩所以縮略的時候一般直接取所有字的漢音讀法。
像KirigawaZhang 的答案里說的一樣,不過他舉的例子還是字與讀音一一對應的情況,所以看起來會有原題這種疑問。至於地名簡略在原題評論中有鏈接有更詳細的問題與描述。我這裡推廣到簡略的一般情況,除了早大暫時還沒想到更好的簡略例。
評論里提到東急東橫線我也很在意,GGL了一下
東橫線はなぜ、《とうよこせん》と読ませるのですか?京浜は《けいひん》、京葉は《けいよう》と読ませるなら、《とうおう》となり、
按這個說法因為是社名所以就沿用とうよこ了
推薦閱讀:
※為什麼漢語普通話中沒法讀出三個連續的三聲字(如米老鼠,孔乙己,短鐵管),而必須將中間那個字讀成二聲?
※章組以外的三等字有沒有可能是從非三等字中隨機分化出來的?