為什麼日本女生的名字都那麼好聽唯美?
是不是四個字的名字就顯得B格很高?
大口翔不服,這名字男女通用。什麼,題主想要四個字的女性專用名?那大口翔子不服。
你知道日本有個姓叫「豬熊」嗎…
1.外國名字的讀音有新鮮感,人類本能的追求新鮮的感受。
2.日本名字相比其他國家,由於往往利用漢字表記,對於中國人更親近,也便於作更深入的聯想和理解。
3.日本名字(不論男女),往往有定式,如郎,夫,男,太,子,花,菜,彩,惠。加以取名時選擇一個有意義的字或音,如芳,鐵,藤,翔,理,晴等。這種主字加定式的起名方式,結合客觀,傳統於主管,創新。造成一種平衡感,很符合東亞文化圈的審美。4.日本女性名字用字多為植物,地理用字,偏於物化,尤其對於傳統心理的亞洲男性很有吸引力。但是:
以上都是針對日本"名"而言。至於日本"姓氏"則千奇百怪:犬豬籠,鳥本,五味,溝口田,豬苗代,下畑場,什麼樣的都有。這主要是"苗字必究令"的結果,由底層貧民在明治期新造的姓氏。這些姓氏對中國人很難產生美感。這種情況在中國也曾經存在,在以前,戶口上登記為牛三蛋,張狗養,孫阿花,這樣的名字有很多。只不過由於傳承的只是姓氏,隨著時間變化這樣的名字在中國逐漸消失。而相反日本的姓氏被傳承下來,這些搞怪的姓氏依然存在於各種人的名字中。總得來說日本女生單看"名"的話的確很有美感,卻往往出現知道了姓氏後美感大大破壞的情況。中文翻譯的好!
歪個樓
吉岡、吉水、吉野
好山、好水、好地方
驚不驚喜?意不意外?謝邀
排版有些亂 見諒
在明治維新以前,絕大多數的日本平民只有名而沒有姓。1875年頒布《平民苗字必稱義務令》之後,才逐漸轉變成全民皆有姓氏。日本姓氏數量約有14萬,其中鈴木、佐藤、田中、山本、渡邊、高橋、小林、中村、伊藤、齋藤十大姓佔總人口的10%,有1000多萬人。
詳細日本姓氏列表列於下:
- 佐藤、鈴木、高橋、田中、渡邊、伊藤、山本、中村、小林、齋藤。
- 加藤、吉田、山田、佐佐木、山口、松本、井上、木村、林 、清水。
- 山崎、中島、池田、阿 部、橋本、山下、森 、石川、前田、小川。
- 藤田、岡田、後藤、長谷川、石井、村上、近藤、坂本、遠藤、青木。
- 藤井、藤田、福田、太 田、三浦、藤原、岡本、松田、中川、中野。
- 1-100大姓01-10佐藤氏佐藤氏鈴木氏
鈴木氏高橋氏
高橋氏田中氏田中氏渡邊氏渡辺氏、渡邊氏伊藤氏伊藤氏山本氏山本氏中村氏中村氏小林氏小林氏齋藤氏斎藤氏、齋藤氏11-20加藤氏吉田氏山田氏佐佐木氏佐々木氏山口氏松本氏井上氏木村氏林氏林氏清水氏
清水氏21-30山崎氏中島氏池田氏池田氏阿部氏 (德川譜代)阿部氏 (徳川譜代)橋本氏橋本氏山下氏山下氏森氏森氏石川氏石川氏前田氏前田氏小川氏小川氏31-40藤田氏藤田氏岡田氏
岡田氏後藤氏後藤氏長谷川氏長谷川氏石井氏石井氏村上氏村上氏近藤氏近藤氏坂本氏坂本氏遠藤氏青木氏41-50藤井氏西村氏福田氏太田氏三浦氏藤原氏岡本氏松田氏中川氏中野氏51-60原田氏小野氏田村氏竹內氏金子氏和田氏中山氏石田氏上田氏森田氏61-70小島氏柴田氏原氏宮崎氏宮崎氏酒井氏酒井氏工藤氏工藤氏橫山氏
橫山氏宮本氏宮本氏內田氏內田氏高木氏高木氏71-80安藤氏安藤氏島田氏島田氏谷口氏谷口氏大野氏大野氏高田氏高田氏丸山氏丸山氏今井氏
今井氏河野氏河野氏藤本氏藤本氏村田氏村田氏81-90武田氏武田氏上野氏上野氏杉山氏杉山氏增田氏増田氏小山氏小山氏大塚氏大塚氏平野氏
平野氏菅原氏菅原氏久保氏久保氏松井氏松井氏91-100千葉氏岩崎氏岩崎氏櫻井氏桜井氏木下氏木下氏野口氏野口氏松尾氏松尾氏菊地氏菊地氏野村氏
野村氏新井氏新井氏渡部氏渡部氏101-1000101-110佐野氏杉本氏大西氏古川氏濱田氏浜田市川氏小松氏高野氏水野氏吉川氏111-120山內氏西田氏西川氏菊池氏北村氏五十嵐氏福島氏安田氏中田氏平田氏121-130本田氏川崎氏川崎飯田氏飯田東氏東服部氏服部氏澤田氏沢田、澤田久保田久保田吉村氏吉村中西氏中西岩田岩田131-140川口氏川口辻辻關氏関、關富田富田川上川上樋口樋口永井永井松岡松岡山中山中田口田口141-150森本氏森本矢野矢野秋山秋山大島大島小澤小沢、小澤廣瀨広瀬、廣瀨土屋土屋石原石原松下松下馬場馬場151-160大橋氏大橋松浦氏松浦吉岡吉岡荒木氏荒木小池氏小池大久保氏大久保淺野氏淺野熊谷氏熊谷野田野田川村氏川村161-170田邊氏田辺、田邊星野星野大谷大谷黑田黒田尾崎尾崎永田永田松村松村望月望月內藤內藤菅野菅野171-180西山氏西山堀堀岩本岩本平井平井片山片山川島川島本間本間岡崎岡崎橫田橫田早川早川181-190荒井氏荒井鐮田鎌田小田小田成田成田宮田宮田大石大石石橋石橋筱原篠原高山高山須藤須藤191-200萩原氏萩原大澤大沢、大澤小西小西栗原栗原松原松原伊東伊東三宅三宅大森大森福井福井南南201-210奧村氏奧村松永松永片岡片岡桑原桑原內山內山關口関口古賀古賀奧田奧田岡岡北川北川211-220八木氏八木上原上原吉野吉野白石白石今村今村中澤中沢、中澤田島田島澀谷渋谷、澀谷小泉小泉上村上村221-230中尾氏中尾平山平山青山青山牧野牧野岡村岡村寺田寺田坂口坂口兒玉児玉、兒玉大山大山河合河合231-240多田氏多田竹田氏竹田宮下氏宮下小倉氏小倉小野寺氏小野寺小笠原氏小笠原足立足立村山氏村山天野天野坂井氏坂井241-250杉浦氏杉浦西西坂田坂田小原小原豐田豊田角田角田武藤武藤河村河村根本根本關根関根251-260水谷氏水谷中井中井森下森下神田神田冢本塚本佐久間佐久間植田植田飯冢飯塚安部安部前川前川261-270山根氏山根淺井淺井白井白井宮川宮川岡部岡部大川大川長田長田堀內堀內松崎松崎飯島飯島271-280檟本氏榎本稻垣稲垣若林若林森山森山金澤金沢、金澤江口江口神谷神谷中谷中谷畠山畠山谷谷281-290細川氏細川及川及川安達安達今野今野三上三上西尾西尾田代田代石冢石塚岸本岸本津田津田291-300荒川氏荒川中原中原長尾長尾戶田戸田、戶田本多本多高島高島森川森川瀧澤滝沢、瀧澤土井土井三好三好301-310金井氏金井松山松山米田米田岡野岡野稻葉稲葉、稻葉村松村松甲斐甲斐西岡西岡佐伯佐伯岩井岩井311-320星星金田金田黑木黒木野崎野崎藤澤藤沢、藤澤堤堤落合落合泉泉堀田堀田廣田広田、廣田321-330西野西野町田町田吉澤吉沢、吉澤古田古田宮澤宮沢、宮澤德永徳永新田新田長島長島山岸山岸富永富永331-340柳澤柳沢、柳澤黑川黒川山川山川川田川田松島松島杉田杉田奧山奧山土田土田三木三木村井村井341-350黑澤黒沢、黑澤笠原笠原須田須田梅田梅田大竹大竹野中野中堀江堀江川端川端大村大村日高日高351-360梶原梶原岸岸西本西本井口井口大木大木長澤長沢、長澤向井向井大場大場竹中竹中藤川藤川361-370安井安井榊原氏榊原氏川原川原吉本吉本大內大內深澤深沢、深澤竹下竹下西澤西沢、西澤吉原吉原藤岡藤岡371-380庄司庄司、莊司福本福本冢田塚田宮內宮內小谷小谷緒方緒方谷川谷川下田下田竹本竹本相澤相沢、相澤381-390藤村藤村奧野奧野宇野宇野窪田窪田北野北野栗田栗田石黑石黒野澤野沢、野澤龜井亀井、龜井平川平川391-400長野長野宮原宮原山村山村藤野藤野茂木茂木島崎島崎川本川本下村下村丹羽丹羽青柳青柳401-410竹村竹村古谷古谷三輪三輪出口出口高井高井荻野荻野大城大城田原田原高瀨高瀬、高瀨小森小森411-420稻田稲田宮城宮城筒井筒井福岡福岡矢島矢島大原大原福永福永林田林田橫井橫井大平大平421-430金城金城筱崎篠崎長岡長岡溝口溝口平松平松山岡山岡淺田淺田越智越智北原北原永野永野431-440武井武井鶴田鶴田柳田柳田北島北島入江入江大田大田浜口浜口湯淺湯淺相馬相馬園田園田441-450高松高松二宮二宮石山石山堀川堀川手冢手塚川野川野沼田沼田石崎石崎比嘉比嘉臼井臼井451-460宮島宮島平岡平岡浜崎浜崎池上池上花田花田穀本谷本瀨戶瀬戸、瀨戶西原西原小出小出筱田篠田461-470杉原杉原志村志村根岸根岸田畑田畑浜野浜野笠井笠井寺島寺島松澤松沢、寺澤三島三島大槻大槻471-480島村島村倉田倉田福原福原片桐片桐日野日野小坂小坂菅菅堀口堀口迦納迦納河原河原481-490新谷新谷千田千田松野松野德田徳田田上田上吉井吉井森岡森岡柏木柏木村瀨村瀬、樹瀨內海內海491-500白川白川畑中畑中秋元秋元大崎大崎中本中本小柳小柳岩瀨岩瀬、岩瀨原口原口秋田秋田三谷三谷501-510木原木原島島大井大井川畑川畑福山福山米山米山米澤米沢、米澤植木植木岩下岩下難波難波511-520古澤古沢、古澤今泉今泉三井三井辻本辻本芳賀芳賀坪井坪井井手井手吉永吉永河內河內畑畑521-530磯部磯部長井長井荻原荻原大坪大坪鹽田塩田、鹽田真鍋真鍋岸田岸田皆川皆川細田細田大友大友531-540細谷細谷植村植村佐竹佐竹河田河田古屋古屋相原相原若松若松三村三村遠山遠山村岡村岡541-550橋口橋口松川松川平林平林草野草野川瀨川瀬、川瀨栗山栗山橘橘有馬有馬井出井出保坂保坂551-560早坂早坂瀨川瀬川、瀨川瀧本滝本、瀧本志賀志賀高岡高岡奈良奈良半田半田龜山亀山、龜山高村高村堀井堀井561-570清野清野玉井玉井神山神山朝倉朝倉富?富樫水口水口河本河本進藤進藤富岡富岡中里中里571-580立石立石岩淵岩淵葛西葛西豐島豊島水上水上平澤平沢、平澤藤森藤森柳柳樹川合川合北澤北沢、北澤581-590龜田亀田、龜田織田織田武內武內有田有田三原三原尾形尾形高見高見狩野狩野宮地宮地大津大津591-600寺本寺本藤崎藤崎植松植松市村市村坂下坂下平平大江大江板垣板垣毛利毛利西島西島601-610江藤江藤曾根曽根那須那須北山北山高柳高柳下山下山高原高原大沼大沼三橋三橋立花立花611-620淺見淺見久野久野松木松木木內木內浜本浜本野上野上田淵田淵門脅門脇手島手島瀧口滝口、瀧口621-630坂上坂上土居土居中根中根平尾平尾三澤三沢、三澤牧牧岩佐岩佐田崎田崎深谷深谷石丸石丸631-640阪本阪本市原市原小宮小宮長谷長谷今田今田守屋守屋前原前原高尾高尾內野內野柴崎柴崎641-650岩永岩永大倉大倉富澤富沢、富澤川井川井高崎高崎關谷関谷、關谷金山金山長瀨長瀬、長瀨正木正木飯野飯野651-660矢部矢部外山外山和泉和泉山野山野金谷金谷秦秦冢原塚原海野海野鳥居鳥居西谷西谷661-670田川田川成瀨成瀬、成瀨木田木田石垣石垣大瀧大滝、大瀧石本石本小寺小寺坂元坂元門田門田末永末永671-680長谷部長谷部富山富山井田井田制上山上山金森金森小畑小畑菅谷菅谷永島永島奧奧乾乾681-690宮脅宮脇江崎江崎赤松赤松相川相川梅澤梅沢、梅澤江川江川板倉板倉野本野本三田三田永山永山691-700島津島津山上山上藤木藤木杉村杉村小杉小杉小室小室肉戶宍戸、宍戶香川香川澤井沢井、澤井水島水島701-710黑岩黒岩梅原梅原小關小関、小關松元松元平冢平塚川邊川辺、川邊喜多喜多諏訪諏訪今西今西井川井川711-720生田生田森谷森谷並木並木宇佐美宇佐美秋葉秋葉鹽谷塩谷、鹽谷水田水田佐川佐川下川下川細井細井721-730石渡石渡浦田浦田布施布施金丸金丸真田真田森脅森脇染谷染谷宮野宮野北田北田風間風間731-740新垣新垣梅本梅本山城山城中林中林大矢大矢小椋小椋西口西口玉城玉城土橋土橋高梨高梨741-750細野細野大庭大庭船橋船橋山元山元浜浜都築都築長崎長崎木本木本植物仲田仲田阿久津阿久津751-760小幡小幡杉野杉野寺澤寺沢、寺澤麻生麻生山形山形堀越堀越依田依田小野田小野田梅津梅津羽田羽田761-770木戶木戸、木戶野原野原赤木赤木淺川淺川椎名椎名岩間岩間日下日下寺尾寺尾仲村仲村宇都宮宇都宮771-780矢田矢田矢口矢口大畑大畑大和田大和田波多野波多野大熊大熊前島前島兒島児島、兒島目黑目黒立川立川781-790菅沼菅沼大貫大貫高倉高倉深田深田瀧川滝川、瀧川池內池內石澤石沢、石澤柳原柳原岩城岩城海老原海老原791-800倉持倉持神崎神崎雨宮雨宮影山影山岡島岡島神野神野栗林栗林橋爪橋爪石坂石坂上杉上杉801-810結城結城青野青野川西川西小沼小沼白鳥白鳥瀨尾瀬尾、瀨尾赤坂赤坂板橋板橋小玉小玉首藤首藤811-820清田清田合田合田玉置玉置丹野丹野尾上尾上角角瀧滝、瀧須賀須賀竹原竹原國分國分、國分821-830橫尾橫尾井原井原坂野坂野久米久米森口森口蘆田蘆田宮坂宮坂澤沢、澤藤島藤島柏原柏原831-840三枝三枝楠本楠本妹尾妹尾脅田脇田池本池本明石明石西脅西脇大下大下北北大和大和841-850櫻田桜田、櫻田勝又勝又大林大林川越川越本村本村小久保小久保小堀小堀本橋本橋野島野島有賀有賀851-860田端田端志田志田橫川橫川浦野浦野柳川柳川穀村谷村春日春日今今坂東坂東飛田飛田861-870江原江原道梅村梅村內村內村會田會田熊澤熊沢、熊澤岡山岡山桑田桑田楠楠角谷角穀日比野日比野871-880砂川砂川益田益田澤村沢村、澤村安齋安斎、安齋花岡花岡笹川笹川中冢中塚勝田勝田吉崎吉崎井澤井沢、井澤881-890島袋島袋森永森永曾我曽我淺沼淺沼白木白木平良平良小栗小栗石倉石倉田澤田沢、田澤前野前野891-900小菅小菅高畑高畑井本井本島本島本玉木玉木高谷高谷沖田沖田倉本倉本長浜長浜沖沖901-910鶴岡鶴岡高澤高沢、高澤大浦大浦宇田川宇田川柴山柴山本山本山黑崎黒崎城戶城戸、城戶鹽見塩見、鹽見岩谷岩谷911-920北條北條畠中畠中池谷池谷大高大高廣川広川、廣川熊田熊田重松重松阪口阪口野呂野呂八田八田921-930戶冢戸塚、戶塚寺岡寺岡菅井菅井末吉末吉井村井村鹿島鹿島田尻田尻石野石野川添川添鹽澤塩沢、鹽澤931-940田所田所古山古山伊澤伊沢、伊澤南部南部岩澤岩沢、岩澤矢澤矢沢、矢澤神戶神戸、神戶丸田丸田福地福地笹原笹原941-950恩田恩田平賀平賀米倉米倉森島森島增井増井村木村木福澤福沢、福澤中中五味五味峰峰951-960日下部日下部菊田菊田森井森井湊湊秋本秋本磯野磯野寺西寺西若山若山安永安永重田重田961-970小峰小峰新村新村上條上條長友長友小口小口今川今川瀧田滝田、瀧田豬股豬股深井深井百瀨百瀬、百瀨971-980紺野紺野熊倉熊倉鬼頭鬼頭中岡中岡唐澤唐沢、唐澤玉田玉田氏家氏家小高小高有村有村岩村岩村981-990小平小平赤羽赤羽境境寺井寺井河西河西土谷土穀神原神原西浦西浦照井照井西井西井991-1000牧田牧田宮裡宮里相田相田松谷松谷小田島小田島藤山藤山福士福士品川品川村中村中對馬対馬、對馬 - 以下日文參考維基百科:大石良金を描いた絵。名は「大石主稅藤原良金」と、家名、仮名、氏、実名の順になっている。名前と人間の関わりは古く、名の使用は有史以前に遡るとされる。姓などの氏族集団名や家族名の使用も西方ではすでに古代ギリシアなどにその形跡があるとされ、東方では周代から後世につながる姓や氏の制度が確立されていることが確認できる。
ある社會においては様々な理由で幼児に名前を付けない慣習が見られる地域もあるが、1989年に國連総會で採択された児童の権利に関する條約7條1項は、「児童は、出生の後直ちに登録される」「ただの出生児から1つの名となる権利を有すべきである (shall have the right from birth to a name)」と定めている。
日本の場合は民法により氏+名という體系をもつ。呼稱される場合は、氏のみ?名のみやあだ名、敬稱?職名などとの組み合わせ、同一の人名の世襲などがある。氏名は他に、姓名や名字(苗字)と名前ともいう。縦書きにしたとき、氏は上部、名は下部になるため、氏を上の名前、名を下の名前と呼ぶこともある。
後述するように、氏+名という構成は日本の文化に基づいた體系である。人名は、共同體の慣習により異なる名付けの體系を持ち、また、呼稱する場合も慣習によって獨特の方法を持つことが多い。漢字文化圏において姓と氏、さらには日本における苗字は本來は互いに異なる概念だが、今日では同一視されている。日本でも、明治維新以前は氏(ウヂ:本姓)と苗字に代表される家名は區別されていた。名は名前とも呼ばれる。
人名は、呼ぶ側と呼ばれる側が互いに相手を認識し、意思の疎通をとる際に使われる(記號論)。多くの場合、戸籍など公的機関に登録される名前を本名として持つ。呼び名としては、戸籍名のままや、「さん」、「君」、「ちゃん」等の敬稱が付け加えられたり、名前を元にした呼び方、あだ名との組み合わせなどとなることが多い。
名前にはその主要な屬性として、音と表記がある。例えば日本人の個人名が外國の文字で表記されることがあるが、これは1つの名前の別表記と考えることができる。逆に、漢字名の場合、複數の読み?音と訓の組み合わせによって読み方が変わることがある。こういった表記、発音の変化に対する呼ばれる側としての許容範囲は様々である
また、名は特定の個人を指し示す記號であることから、人名そのものが、自己、自我、アイデンティティ、自分というクオリアに大きく関係するという考え方がある。各國?各文化の歴史を見ても、霊的な人格と密接に結びついていると考えられていたり、真の名を他者が実際に口にして用いることに強いタブー意識を持っていたりする社會は多くあった。
たとえば日本では、実名(諱)がこれにあたる。これは、元服前の幼名(字(あざな))、出家?死去の際に付ける戒名などと合わせて、名を単なる記號として扱おうとしない一つの文化である
。この文化は近世?近代と実名(諱)(または忌み名)を持つ層が減り、逆に苗字を持つ層が増えるにしたがい(苗字帯刀御免、平民苗字必稱義務令)、希薄化してきたと言える。だが、21世紀初頭の日本においても、名付ける者が名付ける対象に特別な読みを與えることで特別な意味を見い出そうとして名付けたと解釈する限りでの難読名などに見られるように、名に特別な意味を與えようとする思いは
、散見されるものである。日本における狀況日本では現代社會の一般人の日常生活でもインターネットを用いたコミュニケーションが普及するにつれ、見ず知らずの相手には、名前は一切開示せず接觸し、相手の素性を知ってから段階的に開示するということは、よく行われる。また、インターネット上のコミュニティなどでは、本名は出さず、ハンドルネームなどを示すのが一般的である。様々なことを考慮すると、やはり本名をあまりに安易に不特定多數に開示してしまうことはそれなりにリスクが伴う、という判斷がある(関連する事象として、名譽毀損やプライバシーなどの項も參照可)。また、多少意味合いが異なることは多いが、芸術家?作家?評論家などで、ペンネーム?アーティスト名などを用いて、本名は開示しないことは多々見られる。
一方、個々の名前のアイデンティティの重要性は、幼名などが一般的だった江戸時代、養子などが一般的であった戦前などと異なり、増している。近年の選択的夫婦別姓を求める聲などは、現代で、個々の名前のアイデンティティの重要性が増してきたことの表れである。
人名の構造、使用とその多様性人の名前は多くの文化で、2つかそれ以上の種類の部分からなる。
多くの場合、「所屬を示す名前」と「個人を指す名前」の組合わせが用いられる(ここでは便宜上仮にそれを"個人名"と呼ぶことで説明する)。あるいはそのどちらか1種類だけの場合もある。その數や扱いについては様々な習慣?制度が見られる(詳細は後述)。
分かりやすい例としては、その個人が屬する「家(家族)の名前」と「個人の名前」の組み合わせである。英語圏では、個人名(與えられた名 = given name)+ 家族名(family name)の順に表記されることが多い(配置に著目し、ファーストネーム = first name + ラストネーム = last name とも呼ばれるが、文脈に応じ逆順で表記されることや文化混合による混亂を避けるために、given nameという呼稱を用いる流れがある)。現代の日本の一例を挙げれば「山田 + 太郎」であり、この場合は「家族名 + 個人名」の並びとなる。家族名、個人名はそれぞれ、姓(せい)、名(めい)などと呼ばれる。家族名はまた苗字、名字とも呼ばれる。"個人名"の部分は「名(な)」と呼んだり、なんら明確には呼ばずに済ませたりする。
(注)日本語の人名では、英語の given name にあたる概念を、他の概念と明確に區別し、かつ肯定的に指し示す名稱が成立していない。明治以前の今日より複合的で複雑な人名要素における「いみな(諱)(=忌み名)」などという名稱には既に否定的な概念が含まれており(ただしそれ自體を忌避して否定的にとらえているのではなく、霊的人格との一體性という概念ゆえの神聖視により、みだりに用いるのを忌避しているのであるが)、その裏返しとして成立している「字(あざな)」では正式の本名ではないという含意からのズレがあり、どちらも現代的な使用には向かない。また「名(な、めい)」では、フルネームを指す可能性があり、明確な指示が困難になる。明治期に、法令によって人名の近代化を迅速に行った影響が今日も後を引いているとも、今日の日本人の人名構成様式が、まだ非常に淺い歴史しか持たないものだとも言える。そのため「下の名前」または「ファーストネーム」が使われる。以下の説明では「名」(な)という言葉で"個人名"を指している箇所があるので注意されたい。構成要素の數姓名の構成要素の數、すなわち、ある個人のフルネームがいくつの部分から構成されているかは、文化によって異なっている。アメリカ大陸の先住民族など、個人を指す名前のみを用いる文化もある。サウジアラビアのように、3代前にまで遡って4つの部分からなるフルネームを用いることが當たり前の文化などもある。ブラジルのように一貫していない場合もある(これは、姓を持つ習慣が普及しつつあるが、完全に普及しきっていないためであると考えられる)。
また、親子の間での姓をめぐる取扱いも文化によって異なる。子供が両親のいずれか、あるいは両方の名前を受け継ぐ習慣や制度があるかどうかは文化によって異なっている。受け継がれていくのは姓に代表される血縁集団名、家系名であるとは限らない。姓を持たない文化においては、一連の名と続柄の連続をフルネームとする場合もある。(たとえば、姓を持たない文化に生まれた小泉純一郎は、「純一郎、純也の息子、又次郎の孫」といった名前になる。)インドでは逆に「taro、taichiroの父」などといった形で、ある子供が生まれた時に與えられる名前に、さらにその子供の名前として使われるべき名 (taichiro) が含まれているものもある。
構成要素の順序姓名の構成要素の順序についても、民族?文化圏?使われる場面などにより異なることが知られている
。例えば、ヨーロッパ諸國やアメリカ合衆國では、日常的な文書や會話などでは、名前は名→姓の順をとることが多い。ただし、公的文書や學術文書などにおいては順序が逆転することがある。姓を前置することで検索性の向上や誤認の迴避につながるためである。文獻表においては第一著者については姓→名の順を取り、第二以下は名→姓で示す。この場合姓の後にカンマを付ける。日本、中國、朝鮮、ハンガリーなどでは名前は姓→名の順をとる。つまり、あえてフルネームで呼んだり記したりする場合には、その順で呼んだり記したりする、ということである。名前を記す際などに、その一部を省略することも多く行われる。英語圏ではミドルネーム(middle name)はイニシャルだけが記されることが多くある。スペイン語圏では、複數部分からなる姓の一部が省略されることがある。また古代ローマでは使われていた名の種類がとても少ないため、1~2文字に略して評することがあった。
名前の変更基本的には、人名は通常、慣習や法などによって決まっている部分(姓)や生まれた時に両親などによって與えられ、それ以後変わることのない部分(名)のいずれか、またはその組合わせからなることが多く、生涯を通じて変わらない文化も多い。だが、ここにも例外がある。
例えば、婚姻や婚姻の解消に際して、夫婦間の姓の変更が行われる文化がある。婚姻やその解消は親子関係の変更を含むこともあるため、子の名前の変更を伴うこともある。
婚姻以外にも、人生の節目において名前を與えられたり改めたりする場合がある。一部のドイツ人の間では洗禮に伴ってミドルネームが與えられ、以後はファーストネームではなくその洗禮名が頻繁に用いられることになる。
その他の多様性また、家系名や個人名の多様性も文化によって大きく異なる。
「姓#姓の數、由來」も參照日本人の苗字の種類は10萬とも30萬ともいわれ(推計値の為、様々な説がある。丹羽基二は30萬姓としている)、世界でも特に苗字の種類が多い民族とされる。一方、中國人の姓は5000以下であるとされる。最近の中國科學院の調査では、李?王?張?劉?陳がトップ5とのことで、特に李 (7.4%)?王 (7.2%)?張 (6.8%) の3つで20%強(約3億人)を占める。ベトナム人は、最も多い3つの姓で59%を占める
(百家姓參照のこと)。韓國人の姓は、金(?)?李(?)?朴(?)?崔(?)?鄭(?)の5種類で55%にのぼり、「石を投げれば金さんに當たる」「ソウルで金さんを探す(無駄な努力の喩え)」などという成句もある。韓國人は子の名を付ける際に、基本的に他の誰も持っていないオリジナルな名を與える(ただし、ある程度の流行はある)。これに対して、ドイツでは「すでに存在する名前」しか受理されない[要検証 – ノート]
。フランスにおいても、ナポレオン法典の時代には、新生児の名は誕生日ごとに決められた聖人の名前から選ぶこととされていた。このため、既存の名前を組み合わせることが流行した(例えばルイ=ニコラ?ダヴーの名ルイ=ニコラは、聖人の名前ルイとニコラを組み合わせたものである)。さらに、多くの文化においては、正式な名前とは別に愛稱?敬稱などがあり、そのパターンは文化ごとに異なっている。そうした呼稱は名前を省略したり変形して用いる場合もあり、名前ではなく帰屬や當事者間の関係(父と子など)を用いる場合もある。
人名と文化、社會人名をめぐる習慣や制度は一般的に、次のような文化的?社會的事象と結び付いている傾向にある。
- 個人?家族?帰屬についての考え方(とりわけ姓をめぐる習慣や制度)
- 価値観。人にとって何がよい性質であるか(とりわけ名をめぐる習慣や制度)
また、こうした姓名についての知識は次のような場面で活用される。
- 歴史研究や家系図の作成などに際しての資料の解釈、記録された名前と個人の対応付け
- 戸籍?名簿などの管理?作成。それに関連したコンピュータ?データベースの構築
日本人の名前
「氏姓制度」、「古代日本の戸籍制度」、および「家制度」も參照近世以前ファイル大石良金を描いた絵。名は「大石主稅藤原良金」と、家名、仮名、氏、実名の順になっている。明治維新以前の日本の成人男性は、とりわけ社會の上層に位置する者は、家名(カメイ)と氏(ウヂ。本姓)の2つの一族名、仮名(ケミョウ。通稱)と実名(諱)(ジツメイ、イミナ)の2つの個人名を持っていた。 そして、人名としての実際の配列は、家名、仮名、氏、実名の順である。
例えば、忠臣蔵で知られる大石內蔵助のフルネームは「大石內蔵助藤原良雄」(おおいしくらのすけふじわらのよしたか)」である。家名(名字)が「大石」、通稱が律令官名で內蔵寮の次官を意味する「內蔵助」、氏が「藤原」、実名(諱)が「良雄」となる。
この4つの組み合わせ方は決まっていた。「大石內蔵助」のように、家名と仮名(通稱)、氏と実名(諱)が組み合わされた。家名と実名(諱)を組にすることはなかった。
同じように、「織田弾正忠平朝臣信長」(おだだんじょうのちゅうたいらのあそんのぶなが)は、現在は織田信長と呼ばれるが、當時は織田弾正忠あるいは織田弾正忠信長と呼ばれ、朝廷の公文書には平朝臣信長と記された。「織田信長」という呼び方は、呪詛など特殊な場面以外はほとんど用いられなかった。ただ、これが厳密に守られたわけではない。例えば、浮世絵瓢軍談五十四場には織田信長をモデルにした尾田春長という架空の人物が描かれているが、彼の名は「尾田春長」とだけ書かれている。このように、當時にも家名と実名(諱)を組み合わせる呼び方も存在した。
參考までにその他の武士の名の実例を江戸期の隨筆「蘿月庵國書漫抄」が引用する高田馬場流鏑馬の上位入賞者名
から數名を抜粋すると以下の如くになる。(家名、仮名、氏、実名の順である。)- 「宮城?越前守?大江?和忠」
- 「夏目?藤四郎?大伴?信政」
- 「長田?山城守?平 ?元輔」
- 「萩原?主水 ?菅原?雅忠」
- 「鈴木?伊兵衛?穂積?英政」
次に、明治維新以前の日本人男子名の構成要素を中國の漢文表現と対比させると以下のようになる。前者が日本の固有表現、後者が中國の漢文表現である。
- 家名(カメイ)?名字(ミョウジ)→氏(シ)
- 仮名(ケミョウ)?通稱 →字(あざな)
- 氏(ウヂ)→姓(セイ)?本姓
- 姓(カバネ)→対応なし
- 実名(諱)(ジツメイ、イミナ)→諱
※中國でも同姓族集団の解體と氏の発生が起きたが、これは日本での同姓族集団の解體と家名の発生と並行する現象ではなく、中國での氏の扱いは父系血統を示すため、日本の姓の扱いに近い。ただし、日中両國共、姓概念と氏概念の混同が起きているし、日本では國內の固有概念と中國の漢文概念の混同がしばしば見られ、実際の用例に當たるに際して注意を要する。
以下、家名(名字)、仮名(通稱)、氏(姓)、実名(諱)の順に記述する。
家名(名字、苗字)平安時代には、古代から中世への社會変動の中で古代的な氏族組織は衰退し、社會の上層から「家」を単位とする組織化が進行した。古代的な姓(カバネ)は、朝廷との関係についてしか使われなくなった一方で、家名を名乗るようになった。例えば、摂関家の近衛家の人物は、朝廷では藤原という姓(セイ、本姓)を、家名(のちの苗字に相當)としては近衛を名乗った。こうした家名の中で、領主身分を獲得した武士によって用いられ始めたのが、今日の名字である。 在地社會では、古代の豪族が率いる伝統社會が崩壊した後、貴族や大寺社の寄人(よりうど)となることなどを通じて、それに応じた姓(セイ)が與えられるようになり、百姓身分であっても藤原?紀?秦?清原といった古代豪族や朝廷貴族と同じ姓を名乗るようになった。そうして得た姓を同じくする者同士で、律令戸籍の姓(セイ)とは全く別の、実利を重視した氏(ウヂ)集団が形成されていった。例えば、大貴族の○○家から秦という名を與えられた者の集団が、秦一族という具合に。
しかし、鎌倉時代末期頃を境に、百姓身分も安定した婚姻関係を基礎にした継続的な家組織を持つようになり、氏集団への依存度が減少した。この頃から庶民が姓(セイ)を名乗る習慣は消滅していき、代わって、獨立的な家名としての名字を名乗ることが一般的になった。
本姓?氏(ウヂ)は、父系の血統を示すため、養子に入っても変えることはできないのが原則であった。しかし、後世になるほどこの原則の適用は緩くなり、他家の名跡を継いだ場合などには、その家の本姓に変わる場合も少なくなかった。例えば長尾景虎は、長尾氏は平氏なので平景虎だが、上杉氏の名跡を継ぎ上杉輝虎(上杉謙信)となった後は、上杉氏の姓は藤原であるため藤原輝虎となった。
女性の場合、本姓は婚姻後も変わらず、家名を女性の名前に冠することは通例ではなかったようである。例えば、北條政子は、當時は「平政子」と稱した。
賜姓という姓を授ける習慣もあった。豊臣秀吉の賜姓の例として、羽柴姓では徳川家康が羽柴武藏守大納言、前田利長が羽柴肥前守など、豊臣姓では真田信繁等がある。江戸幕府では、外様大名の宗家へ賜姓が行われ、前田利常の松平筑前守(前田氏は後に松平加賀守となった)、島津家の松平薩摩守、毛利家の松平長門守などがある。なお、これらの大名家は戊辰戦爭後に元の姓に復帰した。
江戸時代には、名字は、支配階級である武士や、武士から名乗ることを許された者のみが持つ特権的な身分表徴とされた。公式な場で家名を名乗るのも武士や公家などに限られていた。
しかし、百姓身分や町人身分の者も、村や町の自治的領域內では個々の「家」に屬しており、當然のながら家名を有した。こうした百姓や町人の家名は私稱の名字と言える。武家政権は、村や町を支配しても、その內部の家単位の組織編制には立ち入らなかったため、個々の百姓や町人を呼ぶ場合は家名を冠せず、百姓何某、町人何某と呼んだ。しかし、武士や公家は名字と、それに付隨する姓を持っていたが、名字を私稱した百姓や町人は、姓は持たなかった。
町人には、大黒屋光太夫など屋號を名字のように使う例も見られた。 東日本では、百姓も屋號を名乗ることが多かった。八左衛門などといった家長が代々襲名する名乗りを屋號とすることが多く、これをしばしば私稱の名字と組にして用いた。
仮名(通稱、百官名、東百官、受領名)中國、朝鮮、日本、ベトナムなど漢字文化圏では、人物の本名(諱、いみな)はその人物の霊的な人格と強く結びつき、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられた。そのため諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の者が目上に當たる者の諱(本名)を呼ぶことは極めて無禮とされた(実名敬避俗)。これを貴人に対して実踐したものが避諱(ひき)である。特に皇帝とその祖先の諱については、時代によって厳しさは異なるが、あらゆる臣下がその諱あるいはそれに似た音の言葉を書いたり話したりすることを慎重に避けた。
中國などでは避諱によって、使用する漢字を避けて別の漢字を充てる偏諱が行われた。日本においては仮名(けみょう)と呼ばれる通稱が発達した。(一方で、律令期に遣唐使の菅原清公の進言によるとする諱への漢風の使用が進められ、これに貴人から臣下への恩恵の付與、血統を同じくする同族の証として通字も進んだ。後述の「実名(諱)」を參照。)
男性の場合、こうした通稱には、太郎、二郎、三郎などの誕生順(源義光の新羅三郎、源義経の九郎判官等)や、武蔵守、上総介、兵衛、將監などの律令官名がよく用いられた。後者は受領名や自官の習慣と共に武士の間に広がり、百官名(ひゃっかんな)や東百官(あずまひゃっかん)に発展した。
女性の名前は、庶民が氏を名乗っていた中世前期までは、清原氏を名乗る百姓の女性ならば名前は「清原氏女」(きよはらうじのむすめ)などと記され、婚姻後も出自する氏(清原氏)の構成員として扱われた。官職を得て出仕するような地位を得たとしても、紫式部や清少納言、春日局のように通稱で呼ばれた。枕草子を書いた清少納言は、父清原元輔が少納言であったことから清原の「清」を取って名付けられたと言われており、これらは「女房名」と呼ばれる。
○○宮、御屋形様、大殿、大御所、政所、御台所や、上皇や女院の○○院という呼び名も、直接名を口にするのを避けて居所で呼んだところに由來する通稱である(詳しくは仮名 (通稱)の頁を參照)。
女性の場合は諱が記録に殘ることが少なく、後世でも通稱でしか知られず諱が不明のままとなっている例が多い。しかし、庶民が名字を名乗った中世後期には、庶民の女性も、童名のままながら、「ねね」「やや」「とら」など、より獨立した存在として記録に殘されるようになった。その一方、女性は婚姻後は出自の家ではなく婚家の家組織に従屬するという習慣も明瞭となってきた。江戸時代には、関白の母を大政所、正妻を北政所、征夷大將軍の正妻を御台所と區別して呼ぶことが定著し、女性は婚家の夫?子供の視座から呼稱されるようになった。
明確に避諱を目的とするのではなく、隠居時や人生の転機などに、名を號と呼ばれる音読みや僧侶風?文化人風のものに改める風習もあった(例:島津義久→島津龍伯、穴山信君→穴山梅雪、細川藤孝→細川幽斎など)。この風習は芸能関係者にも広まり、畫家?書家や文人の雅號も広く行われた。狩野永徳、円山応挙等の畫號、松尾芭蕉、與謝蕪村のような俳號、上田秋成、太田南畝のような筆名も広く行われた。中には、曲亭馬琴や十返舎一九のように本名と全く異なるものも現れた。これが、現在の芸能人の芸名や俳名、源氏名などの習慣につながっている。なお、藤原定家(ふじわらのさだいえ)を「ふじわらのていか」と呼ぶなど、過去の文化人の名を漢風に音読みすることを有職読み(ゆうそくよみ)というが、これは號や仮名とは別物である。
氏(姓)詳細は「姓」、「氏」、「本姓」、「名字」、および「カバネ」を參照古代の律令國家の時代には、庶民も姓(セイ)を持っていたことが、現存する當時の戸籍から明らかとなっている。
この姓(セイ)は、その氏(ウヂ)集団(氏族組織。古代社會の単位の一つ)の一員であることを意味し、今日の苗字と同義の姓(セイ)とは性質が大きく異なる。支配者層の姓(セイ)である氏(ウヂ)には、氏姓の制により、朝廷とその氏(ウヂ)との関わりを示す姓(カバネ)が付された。例えば、今日藤原鎌足として知られる藤原朝臣鎌足(ふじわらのあそんかまたり)は、藤原が氏(ウヂ)=姓(セイ)、朝臣が姓(カバネ)、鎌足が名である。実名(諱)詳細は「諱」、「通稱」、「號 (稱號)」、「仮名 (通稱)」、および「あざな」を參照個人名である実名(じつみょう)(諱(いみな))は、公家武家を問わず、通字を用いる習慣が見られる。鎌倉北條氏の「時」、足利氏の「義」、武田氏や織田氏の「信」、後北條氏の「氏」、徳川氏の「家」、伊達氏の「宗」などが有名である。家祖あるいは中興の祖として崇められるような家を飛躍させた祖先にあやかり、同じ実名(諱)を稱する先祖返りという習慣もあった。これは伊達政宗が有名である。
先祖や創始者の実名(諱)を代々稱する武家もあった。これは、市川團十郎?中村歌右衛門のような歌舞伎役者や笑福亭松鶴?柳家小さんなどの落語家などで名人とされた人の名を襲名する習慣や、上記のような商人の屋號の継承(茶屋四郎次郎など)という形で庶民にも広がった。
武家では、主君の実名(諱)の一字を拝領をすることが栄譽とされた。與えられた字のことを偏諱(へんき?かたいみな)と言う。北條高時→足利高氏?足利尊氏←後醍醐天皇「尊治」が有名。烏帽子親の一字を受けることも多かった(北條高時は高氏?尊氏の烏帽子親である)。
偏諱には、代々の通字を與える場合と通字ではない方の字を與える場合があった。前者は特に主家に功績のあった者や縁者、後者は與えた人物との個人的な主従関係による例が多い。豊臣秀吉の場合、前者に小早川秀秋、宇喜多秀家、後者に田中吉政、堀尾吉晴、大谷吉継がいる。
偏諱の授與によって、改名を繰り返した例もある。上杉謙信は、元服時の長尾景虎(景は長尾氏の通字)→上杉景虎(関東管領山內上杉氏から姓を授かる)→上杉政虎(上杉憲政の偏諱)→上杉輝虎(足利義輝の偏諱)→上杉謙信(出家による戒名)と目まぐるしい。
江戸時代には、將軍から偏諱を受けることが決まっていた大名家もある(島津氏、伊達氏など)。
実名(諱)は、朝廷との関わりが生じるような階層以外は、実生活で使うことが滅多になかったため、周囲の者が実名(諱)を知らなかったり、後世に伝わらないことも起こった。「西郷吉之助平隆永」(さいごうきちのすけたいらのたかなが)は、親友の吉井友実が父の実名(諱)「隆盛」を彼のものと勘違いして朝廷に奏上してしまったため、新政府の公文書では「平朝臣隆盛」、戸籍令以降は「西郷隆盛」と呼ばれるようになってしまったという逸話が知られる。
在家の者の実名(諱)に対し、僧侶や出家した者は戒名を名乗った。禪僧は戒名の上にさらに法號を付けることもあった。一休宗純は、一休が法號、宗純が戒名である。
出家するということは、俗世との縁を絶つということを意味したため、世俗の名字?姓や実名(諱)を捨て、仏門の戒律を守る者の名という意味の戒名を漢字二字でつけた。従って、上杉謙信や武田信玄のように、世俗の名字の下に戒名を付けて名乗るのは、本來はおかしなことである。命名法と読みファイル『吾妻鏡』古活字本寛永版?林羅山の跋文。出家した後の號「道春(どうしゅん)」の名が書かれているファイル:Minamotokiyomaro.JPG宗福寺にある源清麿の墓。戒名が大きく刻まれ、その下に俗名として本名の「山浦環」が刻まれている。「源清麿」の名前は刀名として刻まれている。歴史をさかのぼり、過去をひもとくと、封建時代のイエズス會士ロドリゲスの記録(日本語小文典)によれば、「高貴な人は仮名(かりな)の他、実名(名乗り)も命名されていた」という
。ここで「仮名」とは、のちに官職を得て、その官職名(百官名、受領名)を名乗ることができるまでの間の仮の名である。 また、「実名」の命名にあたっては、「漢字2文字の4音節」で、上下の語ともに特定の82種の語中から選択されたという。 (官職者?人名一覧の記載された歴史書は、このような命名法の參考資料となると思われる。)なお、漢字での名付けの弊害とも言える事例として、歴史上の人物の名で、変わった読み方をする場合、正しい読み方が現代まで伝わっていないことがある。明石全登など、未だに読み方に諸説ある武將もいる。他にも最上義光は當初、名は「よしみつ」もしくは「よしてる」と読まれていたが、妹の義姫に宛てた手紙が近年発見され、その手紙で自身の名を「よしあき」と平仮名で書いていたため、ようやく正しい読みが判明したという事例もある。また、僧侶の名前などは音読みとなる場合が圧倒的に多い。文筆家の號も音読みのことが多く、藤原俊成(としなり?しゅんぜい)や藤原定家(さだいえ?ていか)、藤原家隆(いえたか?かりゅう)のように、本來訓読みでも音読みで読み慣わしている例もある(→有職読み)。
女性の名江戸期の女性の名の例を大田南畝(蜀山人)の隨筆「半日閑話?女藝者吟味落著」から引用する
[12]
。(50音順にした。) (あ行)長助娘いと、助七娘いと、甚之助妹いね、孫兵衛姪いよ、平七娘うた。 (か行)寅吉娘かつ、小助娘かよ、十次郎従弟女きち、喜右衛門娘きち、藤五郎娘きの、五郎娘うた事こと。 (さ行)文六娘さと、藤兵衛娘しほ、長八娘せん、権右衛門娘そめ。 (た行)善蔵姉たか、藤助娘たみ、八右衛門娘たよ、十次郎従弟女ちよ、源八娘ちを、権右衛門姪つる、鉄次郎姉つる、 武兵衛娘でん、清九郎娘とき、新兵衛妹とみ、佐兵衛娘とみ、助八娘とよ。 (な行)磯治郎娘なみ、金次郎従弟女なみ、小三郎妹なを。 (は行)清八娘はつ、大吉娘はな、半兵衛娘はま。 (ま行)宇右衛門娘まさ、新右衛門姪みよ、半七姪みよ、伝兵衛妹みわ、平吉妹みを、藤次郎娘もよ。 (や行)新八姉よし。 (ら行)孫兵衛方に居候りう。アイヌの人の名前
「アイヌ名」、「アイヌの歴史」、「アイヌ文化」、および「アイヌ語」も參照北海道、樺太、千島列島の先住民族であるアイヌは、今でこそ彼らが居住する地域の大勢を占める日本式やロシア式の姓名を名乗っている。しかし、日本ないしロシアの支配に置かれる以前は、民族の伝統に即した命名のもとに人生を送っていた。
生まれて間もない赤子には正式の名前を付けず、泣き聲から「アイアイ」、あるいは「テイネプ」(濡れたもの)、「ポン?ション」(小さな糞)、「ションタク」(糞の固まり)など、わざと汚らしい名前で呼ぶ。死亡率が高い幼児を病魔から守るための配慮で、きれいなものを好み、汚いものを嫌がる病魔から嫌われるようにとの考えである。あるいは「レサク」(名無し)など、はじめから存在しないことにして病魔を欺く。
ある程度成長して、それぞれの個性が現れ始めると「本式」の名前がつけられる。「ハクマックル」(あわて者)、「クーカルクル」(弓を作る者)、「クーチンコロ」(弓と毛皮干しの枠を持つ者)、「ムイサシマツ」(掃く女)、「キナラブック」(蒲の節をいじる者)、「タネランケマツ」(種まき女)、「イウタニマツ」(杵の女)、「カクラ」(ナマコのように寢転ぶ)、「カムイマッ」(熊の肉を焼く)など。
また、病弱な子供や並外れて容貌に優れた子供は、綺麗なものを好むという病魔から嫌われるよう、神に見込まれて天界に連れて行かれる=死ぬことのないよう、幼児と同じように汚らしい名前をつける。「トゥルシノ」(垢まみれ)、「エカシオトンプイ」(爺さんの肛門)などの例がある。このような例は、諸民族においても珍しい事例ではなく、例えば日本では牛若丸など武士の子の幼名に頻繁に使われた「丸」という字は、古來、糞を意味していた。また、中國でも前漢の武帝は、魔除けのために「彘(てい:ブタの意)」という幼名を付けられた。
妻は夫の名前を呼ぶことが許されず、すでに死んだ人間の名を命名することは不吉とされ、他人と似た名はその人に行くはずの不幸を呼び込むものとされていたので、とにかく人と違う、獨創的な名前を命名するよう心がけていた。また、大きな災難に遭遇したり、似た名前の者が死んだりした場合は「名前が災難に好かれた」との考えから、すぐに改名した。そのためアイヌ民族には「太郎と花子」「ジョンとエリザベス」のような、「平凡な名前」「民族を代表する名前」が存在しない。
日本においては明治初期になると戸籍法の浸透から、アイヌもそれまでの名前を意訳、あるいは漢字で音訳した「日本式の姓」を名乗るようになったが、「名前」は明治中期までは、それまでのアイヌ語式がかなりの例で受け継がれていた。戸籍に名を記入する際は、アイヌ語の名前を見ただけでは男女の區別がつきかねる和人のために、男性はカタカナで、女性はひらがなで記入されていた。
沖縄の人の名前琉球國金丸世主書狀(1471年)。左端に、尚円王の即位以前の名「金丸」が署名されている。「沖縄県の名字」、「沖縄県の歴史」、「琉球の位階」、「第二尚氏#尚氏と向氏」、および「奄美群島の名字」も參照史料から見る限り、1392年に帰化したといわれる閩人三十六姓及びその子孫である久米村士族を例外として、第一尚氏王統が成立するまでの王名を始めとする人名のほとんどは「琉球語/琉球方言」によると推測される名のみであり、姓ないし氏があったことは確認できない。尚巴志王が三山を統一し明に朝貢すると、國姓として「尚」を賜り、以後の王は中國風の姓名をもつようになった。中國風の姓名は「唐名(からなー)」と呼ばれ、以後士族一般に広がった。
これに対し、第二尚氏王統成立後、士族はその采地(國王より與えられた領地)の地名を位階稱號に冠して呼ばれる慣習が一般化し、さらに日本風の「名乗り」(前節の「諱」に相當、ただし全て音読みで読まれる)を持つことが普通になると、「采地名」+「位階稱號」+「名乗り」が別の呼稱システムとして確立した。これを「大和名(やまとぅなー)」と呼ぶことがある。「采地名」の人名化は日本における「氏」(苗字)の起源と並行するが、日本のように「采地名」が固定化した「氏」になることはなく、采地の変更にともなって変わりうる一時的な呼稱にとどまった(王の世子は中城を所領とし、常に「中城王子」と稱した。つまり「中城」という「采地名」は王世子のみに與えられる稱號であり、継承されない)。また、それまでつけられていた「琉球語/琉球方言」による名は「童名(わらびなー)」とカテゴライズされ、公共領域からは排除されていった。
このようにして、同一人物が「大和名」と「唐名」の雙方を持つようになったため、後世、特に近代以降にそれ以前の歴史上の人物を呼ぶ場合、人物によって通用する名前が異なる現象が生じている(主に久米村士族が「唐名」で呼ばれる)。例えば羽地朝秀(唐名:向象賢)は「大和名」が、蔡溫(大和名:具志頭文若)は「唐名」の方が通用している。
薩摩藩の琉球侵攻以後、「大和めきたる」風俗の禁止に伴い、多くの地名(したがって「采地名」)の漢字が日本本土に見られないものに置き換えられたため、本土と語源が共通する「采地名」も異なる漢字で書かれるようになった。
琉球処分後、日本の戸籍制度が沖縄県にも適用されると、國民皆姓制度の導入と姓名の単一化が迫られた。士族、及び分家として「采地名」をもっていた王族はすべて「大和名」(「采地名」+「名乗り」)を戸籍名としたが、尚泰王のみは「采地名」をもたなかったため、王とその直系の子孫のみは(「采地名」をもっていても)「尚」を姓とし、「唐名」を戸籍名とした。このため、王族出身者でも「大和名」を名乗った分家(伊江家、今帰仁家など)では姓名の形式がより「本土風」であるのに対し、「尚」家の多くの男子は今も原則として漢字一字をもって命名されている。また、全體として王族、士族出身者の名の読みには音読みが根強く殘っている。
その後、獨特の漢字遣いをする姓を「本土風」の漢字に置き換える改姓を行ったり、逆に同じ漢字を使いながら読みを標準語に近づけるなど、日本本土への同化傾向が見られる。
先島諸島においても、尚真王による征服以前に分立していた領主の名前には、領地名を名に冠したと考えられるもの(石垣島の平久保加那按司)、名だけが伝えられているもの(石垣島のオヤケアカハチ、與那國島のサンアイイソバなど)など、獨特のものがある。
近現代現行の法制度における「氏名」についての法制度については氏名を參照大日本帝國憲法の上諭。右ページの御璽の上方に「睦仁」と、明治天皇の「名」(諱)が自署されている。また、左ページには、國務大臣の官名と爵位に続けて、「氏名」が自署されている。國會開設の詔。太政大臣三條実美の署名がある。明治維新によって新政府が近代國家として國民を直接把握する體制となると、新たに戸籍を編纂し、舊來の氏(姓)と家名(苗字)の別、および諱と通稱の別を廃して、全ての人が國民としての姓名を公式に名乗るようになった。この際、今まで自由だった改名の習慣が禁止された。明治以降の日本人の戸籍人名は、氏は家名の系譜を、名は諱と通稱の雙方の系譜を引いている要素が大きい。例えば夏目漱石の戸籍名である夏目金之助は通稱系、野口英世は諱系の名である。
日本人の名前は、法律上、原則として「氏」(うじ)と「名」(な)との組み合わせから成る「氏名」(しめい)で呼稱され
、戸籍上「氏」「名」で記録される。「氏」は民法の規定によって定まり(民法750條、810條等)、「名」は戸籍法に定める出生屆に際して定められる(戸籍法29條柱書、50條、57條2項等)。「氏」は現代においては姓(せい)または苗字?名字(みょうじ)とも呼ばれ、古くは一定の身分関係にある一団の、近代以降は家族の人間の共通の呼稱として、個人がその集団に屬することを示す。「名」はさらにその集団の中の個人を示す役割を果たしている。日本人の氏名を含む身分関係(家族関係)は、戸籍に登録される。例外として、天皇及び皇族の身分関係は、戸籍ではなく皇統譜に登録される(皇室典範26條)。また、天皇及び皇族は、「氏」を持たない。これは歴史的に氏や姓が身分が上の者から與えられるものだったためである。
氏詳細は「氏」を參照氏の種類氏の種類は、30萬種を超えるとされている
。氏の多くは2文字の漢字から成っており、人數の多い上位10氏はすべて漢字2文字から成る。なお、研究者の間で確認されている限りでは、漢字5文字のものが最長とされる。氏の多くは地名に由來するため、地名に関する漢字を含むものが多い。- 1文字:林、森、原、関、東、辻、堀、岡、南、西など
- 2文字:佐藤、鈴木、齋藤、高橋、田中、渡辺、伊藤、中村、小林、山本、加藤など
- 3文字:佐々木、長谷川、五十嵐、久保田、大久保、小野寺、佐久間、小笠原、宇佐見、大和田など
- 4文字:勅使河原(てしがわら)、小比類巻(こひるいまき)、長宗我部(ちょうそかべ)など
- 5文字:勘解由小路(かでのこうじ)、左衛門三郎(さえもんさぶろう)、正親町三條(おおぎまちさんじょう)など
※1文字から3文字の氏は、人數の多い順
。読み方は代表的なものを記載。海外からの移民を除き、基本的に日本人の氏は漢字である。
氏の大半は地名に基づいている(この理由を17世紀のイエズス會士ロドリゲスは「日本語小文典」のなかで、「名字(苗字のこと)は個々の家が本來の所有者として、所有している土地に因んでつける」と記述している
。)。このため、地名に多い田?山?川?村?谷?森?木?林?瀬?沢?岡?崎など、地形や地勢を表す漢字、植物や道に関するものなど及び方位を含む氏が多數を占める。色彩の一字のみで表される氏(白?黒?赤?青?黃など)だけは存在しない。氏の取得と変動現在、日本では氏の取得と変動は民法の規定によって定まる。夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を稱する(民法750條)。嫡出である子は父母の氏を稱し、嫡出でない子は母の氏を稱する(民法790條)。また、養子は養親の氏を稱する(民法810條)。
この法では、夫婦の「氏」は夫婦が互いの氏から自由に選べる。しかし慣習的に多くの夫婦は、夫の氏を選択している(2005年度(平成17年度)の1年間に婚姻した夫婦を対象とする調査によれば、全體の96.3%の夫婦が夫の氏を選択した
)。これは1948年(昭和23年)の改正前民法(家族法)に見られるように、婚姻を妻が夫の「家」に入ると考える(家制度)と、全ての「家」の構成員が、夫を筆頭とする「家の氏」にまとめられるという、男系家制度の慣習を反映している。婚姻又は養子縁組によって氏が変更があると、もとの氏を「舊姓」という。なお、夫婦同氏制(夫婦同姓)については、1996年(平成8年)に法制審議會が出した「民法改正案要綱」
で、選択的夫婦別氏制度(夫婦別姓)が定められたことをきっかけに、その賛否が論じられている。尚、アジアの多くの國、韓國、中國、インドでは、夫婦別姓であり、日本も明治31年以前は夫婦別姓であった。夫婦同氏のみを原則とする國家は以前はタイ、ドイツ等あったが、現在では、日本以外の國家はすべて選択的夫婦別姓制度に移行し、夫婦同氏のみを原則とする國家は日本のみとなっており、人権的にも國際的な批判がある。名新生児が生まれたときには、14日以內(國外で出生があったときは、3ヶ月以內)に屆け出なければならず(戸籍法第49條)、事実上、新生児の名はこの出生屆のときに定められる。子の命名において使用できる文字には制限が設けられている(戸籍法50條1項、戸籍法施行規則60條參照)。人名については固有の読み方をさせる場合があるが、法的な制限はない(→人名訓)。そのため、漢字表記と読み仮名に全く関連がないものや當て字なども許容される(例:風と書いて「ういんど」、太陽と書いて「サン」など)。 また、文字數にも制限はない。皇族の場合、生後7日(御七夜)を迎えた時に命名の儀が行われ、命名される。
(同じ戸籍內にいる人物と同じ文字の名を付けることはできないが、同じ読み方の名を付けることはできる。例えば「昭雄(あきお)」と「昭夫(あきお)」のように同音異字の場合は可能であり、「慶次(よしつぐ)」と「慶次(けいじ)」のように異音同字の場合は不可能である。なぜなら、戸籍に読み方は記載されないからである(翻せば、読みを替えるだけなら改名の必要はないことになる)。なお、「龍」と「竜」のように新字體と舊字體とは同じ字とみなされるため、「龍雄」と「竜雄」のような場合は不可能である。稀に夫婦で同名というケースもあるが、これは問題ない。)
氏名の読み?表記?呼び方氏名の「読み」と表記氏?名のどちらも、比較的獨自の語彙があるため、ある人の氏名を聞いて、それが人の氏名とわかるのが普通である。また、氏か名かいずれかを聞いた場合、「ゆうき」「しょうじ」「はやみ」「わかな」「はるな」「よしみ」「あいか」「まさき」「とみお」などのごく稀な例外を除いて、それがどちらであるかを區別することも比較的易しい(これは、例えば英語でRyan, Douglas, Scottのように氏にも名にも用いられる語がかなり多くの人名に使われていることと対照的である)。
しかし、氏名を聞いた時にそれがどのような文字で書かれるかについては必ずしも分からない場合が多い。これは同じ読みの漢字がたくさん存在するという日本語の特徴のためである。また、漢字で書かれた氏名から正しい読み方が特定できない場合もある。これは、馴染みの薄い読み方(難読人名)であるために起こることもあるが、単に2つ以上のよく知られた読み方があるために起こる場合もある。日本の漢字は読み方が多いためこのようなことが起こりやすい(例えば、「裕史」という名はひろし、ひろふみ、ゆうし、ゆうじ、などと最低4通りの読みがある / 字面通りの読みである必要はないので、実際にそれ以上存在する)。そのため、各種の申込書?入會書?願書?申請書などに名を記す時に振り仮名の記載を求められる場合が多いが、法的にそれを証明する手段は少ない。これは、戸籍が読みではなく字を基準にした制度であるためである。
名前の呼び方人が互いを呼び合う際には、氏と名の全て(フルネーム)を呼ぶことは多くない。あだ名や、氏?名に「さん」「ちゃん」などの呼稱を付け、あるいは、肩書きや続柄に関する呼稱、二人稱代名詞、まれに字(あざな)などを用いることが多い。また、親しくない相手に、名のみで呼びかけるのは失禮との考えを持つ人が少なくない。
一般に、呼稱をめぐる習慣は非常に複雑であり、簡潔に説明することは困難である。當事者間の年齢や血縁や仕事上の関係、社會的な文脈などによって大きく変化するが、そうした文脈の制約條件だけからは一意的に決まらないことが多く、個人的な習慣や好みなども影響する。さらに、方言などと絡んだ地方差も認められる。
戒名詳細は「戒名」を參照日本人の多くは、死亡すると、仏教式の葬儀を行い、戒名(法名
)を付ける。戒名とは、仏門に帰依して授戒した出家?在家の者に與えられる名で、多くは僧侶が與える。戒名の形式はそれぞれの宗派によって異なる(例:○○大居士、○○居士(大姉)、○○信士(信女)、釈○○など)。以上
一堆yuki,yuka。哪裡很美了。沒人覺得仨字的才美嗎?天草筱荻村鈴魚見見。。。長尾綾呀。。。真田梅呀。。。現在一堆讀音都一樣的。。。我覺得等現在這波中二家長的娃長大了名字會好玩些。。。
主要是日本人的姓比較優美,我有個同學在日本念書,他告訴我在日本一般都喊人姓,因為姓的區分度很大,而在中國,一般都喊名,因為好多人姓李王張。
日本據說有20多萬個姓,這些姓的用字都還不錯日本人大概也覺得中國人的名字很好聽
沒覺得優美,大量的「香」,「花」,「美」,「菜」等名字在中國都是鄉下老太太才叫的
東野圭吾有一本小說?聖女的救濟?,裡面的配角姓「豬飼」
日本還有人姓廁所的呢!御手洗聽過嗎?
中國的複姓
潮吹真理子 不服
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