標籤:

日語中「いる」和「ある」分別何時用?

日語中表示物體狀態時會根據物體的性質而用「いる」或「ある」,但是具體什麼樣的名詞(或相當於名詞的詞)做主格時用「いる」或「ある」?


一、
排名第一的答案不能說錯,但是不完全。
一般來說,「有生命」(人或動物)用「いる」,無生命(也包括植物)用「ある」是沒什麼大問題的。

二、
但是,別忘了以下的例子存在:

私には姉が二人、兄が一人あります

這個例子中,「ある」並不表示「存在」,而表示「擁有」。也就是說,相當於把哥哥姐姐看作自己的所有物。同時,這裡的「わたしには」中的「に」也可以省略,直接說「わたしは」就可以。

另外就是排名第一的答案里舉的那個例子:

「歩きながら、おやじの名前を宣伝して歩くやつがあるか。」と父は怒鳴った。

但是,這裡的「ある」並不是「粗魯」,而是表達不滿,即「這樣的人的存在會造成問題」。
類似的還有:

その計畫は、うまく行きそうだったか、反対する人があって、実現しませんでした。

也就是說,這裡的「反対する人」帶來了麻煩,這種情況下可以用「ある」。

當然,無論上面哪一類例子,也都可以用「いる」。所以如果實在弄不清楚,在自己說/寫日語的時候,人的後面統一用「いる」,肯定不會錯。

三、
既然講到了「ある」,那就多說幾句廢話。
請看下面這題:

教室(  )いすがある
教室(  )試験がある

第一個空格填「に」,第二個填「が」
因為,第二個句子里的「ある」既不表示存在,也不表示擁有,而是表示「發生」。
「試験がある」是指一件事情的發生。
既然是「事情」,那麼其地點用「で」自然順理成章。


這個問題我以前整理過一次
傳送門:http://www.zhihu.com/question/20722419/answer/15969996


最近日語問題越來越奇怪了。。。。

你覺得花有沒有生命。。。生活中有生命日文中也就算有,隨便用就行了


這個問題很麻煩。。。實際中運用的靈活度比教科書里那幾句複雜多了。介於日漢詞典對這兩個詞的詞條解釋大多不夠詳細,所以這裡直接搬運『明鏡國語辭典』的解釋如下:

あ?る【在る?有る】
①空間的?時間的に事物が存在する、感覚や感覚を超える形で事物の存在が認められる意。
〔存在自體を問題にして〕生物?無生物、具體物?抽象物を問わず、ものが存在する。「私が今ここに─ことは疑えない」「神は本當に─か」
②人?動物以外の具體物?抽象物が存在する。「機の上に本が─」「山の向こうに海が─」「本社は東京に─」「人生には喜びも─?れば悲しみも─」「この薬は疲労回復に効果が─」「二人の実力には大きな差が─」 「あそこに太郎[スズメ]がいる」など、人?動物の場合は「いる」を使う。
③人が存在することを初めて紹介するようにいう。いる。「昔、ある所におじいさんとおばあさんが─?りました」
④《人?動物の意を表す語の上に連體修飾語を冠して》何らかの形で類型化された人?動物が存在する。いる。「賛成の人も─」「無関心な子も─?れば目を輝かせる子も─」
⑤人が特定の狀況や地位?立場などに身を置く。「病床に─?って無聊をかこつ」「黨內に─?って唯一の理論家」「恵まれた環境に─」「逆境に─?ってもくじけない」 存在する人よりはその狀況に関心をもった言い方で、「~に─?って」の形で使うときは、しばしば意味が形式化して格助詞「で」に近づく。「いる」で置き換えると、口頭語的な言い方となる。⑥あるものがある特定の狀態や段階に置かれている。「會社は倒産寸前の狀態に─」「新製品は試作段階に─」「人口は増加の傾向に─」
⑦人がこの世に生きて暮らしている。生存している。「世に─限り最善を盡くそう」
⑧あるものが所有されたり含まれたりした狀態で存在する。持っている。「私には妹が─」「金も時間もたっぷり─」「才能[體力?悩み]が─」「その意見には問題が─」
⑨《數値を伴って》あるものがそのような物理的な屬性をもっている。そのような數量が認められる。「彼は體重が一〇〇キロも─」「塔の高さは五〇メートル─」
⑩複數のものの間にある関係が成り立つ。「私はこの事件と深い関係が─」「両者間には密接なつながりが─」「互いに面識が─」「両國間には國交が─」
?ある物事がなされる。行われる。催される。また、ある特別なことが起こる。「田中氏から電話が─?った」「方針の変更が─?った」「今日は學校が─」「遠足が─」「二日前に衝突事故が─?った」
?時が経過する。「やや─?って(=しばらくして)語り始めた」
?《「~に─」の形で》~によって決まる。~によって左右される。「成否は努力のいかんに─」「復讐ふくしゅうするは我に
?《「~と─」の形で、ことばが存在する意から》~と書かれている。また、~ということだ。「遺書には『全財産を寄付する』と─?った」「頼みと─?ればしかたあるまい」「休日と─?って人出が多い」
?《「~だけ(のことは)─」の形で》「自慢するだけのことは─」?《「~ことが─」の形で》→ことがある 「どこかで會ったことが─」
?《「~つつ─」の形で》→つつ(接助) 「復興の道を歩みつつ─」《「…とも─?ろうものが」などの形で》仮にもそのような立場?身分のものが。「大統領とも─?ろう者がそんな発言をするとは」「○○社とも─?ろう會社が…」
文語の否定形は「あらず」だが、口語には「あらない」の形はないので、形容詞「無い」でこれに代える。 存在を表す「在」、所有的存在を表す「有」ともに、一般にはかな書き。文語的格調を重んじて存在を強調する場合、「無し」と対比的に使う場合などでは、漢字書きも多い。「我ここに在り」「反対する者無し。但し、沈黙する者多數有り」

いる【(居る)】ヰル
①ある場所に(とどまって)人?動物が存在する。また、ある性質や特徴をもって、人?動物が存在する。「私は五時まで事務所に─」「動かないでここにてね」「アフリカにはキリンが─」「大阪に─兄から電話があった」「賛成する人もいれば反対する人も─」人?動物が所有された狀態で存在する。「私には弟は─が妹はない」「わが家には貓が二匹─」
(語法)本來は、すわる、また、動くものが動かないでじっとしている意。「一番線に通過待ちの電車が─」「あ、あそこにタクシーが─」など、いつでも動ける狀態にある乗り物の場合(背後に操る人がいる場合)は「ある」よりは「いる」が一般的。「頭の真上に太陽が─」「あそこに宵の明星が─」のほか、擬人化していう「こんなところにお地蔵さんが─」などでも、しばしば「いる」が現れる。
(表現)尊敬表現は、一般に「いらっしゃる」「おられる」を使い、「いられる」は可能の意味に使う。丁寧表現では「います」より「おります」の方が丁重さの度合いが強い。また、「おる」で言い換えることができるが、これは、やや古風で西日本方言的な言い方。「私には一男一女がいる」など、文脈によっては「ある」で言い換えられるが、「いる」の方が口頭語的な言い方となる。


いる是指活的有生命的,比如人,動物。
ある是指沒生命的,比如桌子這種


基礎語法上植物是無生命物體,動物是有生命物體,這是明確的語法規則,不是你認為花有生命就能隨便用的!但不排除部分人為表達某種意思,在日常交流、日推上、非正式文體上兩種情況活用。
我們的中山老師把中國人認為花花草草都是生命,日本人則認為動物才是有生命的物體當作是文化差異給我們說的。「生命」一詞的理解有那麼點不同。


推薦閱讀:

如何區分「は」和「が」?
「~てくる」「~ていく」使用的場合該如何區分?
日語語法中詞語活用的「基本形」「連體形」「終止形」有什麼區別?

TAG:日語語法 |